ありがたかった支援と困った支援
(陸前高田の防災士)

>全ての物資がありがたいものでした。ただ、時間とともにニーズは変わっていきます。

>避難所の初期は、毛布、食料、水、着替え、医薬品、女性用品、3月ですので電気を使わないストーブが求められました。

>数日たつと、長期戦を意識した物資を必要とします。米、缶詰、マスク、枕、ゆるい衣類(寝るとき用)、サランラップ、などです。

>さらに数日が過ぎると、靴(スニーカーなど)、長靴(捜索用)、体育館の中で寝るスペースを仕切るもの、味の濃い食品、
甘い物、と生活にアクセントを求めるようになりました。

>その中で、自分たちでも思いもしなかった支援があります。
阪神淡路大震災や中越地震の経験者から、名刺入れやノートと筆記具、マジックペン、模造紙、パソコンが届きました。最初は、
生きることに精一杯でしたが、避難所内の記録や周知に威力を発揮しました。コーヒー、ビール、タバコ、テレビ、マンガ、
など、贅沢と思い、こちらから求めることもできないような物も届き嬉しかったです。

>ご支援で届けていただいた物に対して申し訳ない言い方かもしれませんが、必要なものがちょうど良い量で届く
わけではありません。

>長期保存を意識したカップ麺は多く届けていただきましたが、実際には、200人分のお湯を沸かすことは容易ではありません。

>困ったのは、調味料が少ないことです。塩分の多い食事は体に良くないとは言われますが、塩分の少ない食事は食欲を
そそりません。なにせ200人分ですから、食堂で消費するくらい砂糖、塩、酢、しょうゆ、味噌を必要とします。
調味料の種類が少ないと作れる料理の種類も限られます。