以前★元財務官僚の榊原英資氏の何かの本で朝鮮半島南部と九州は一体の国のような物と思わせる物があったと記述

◇◆◇副島隆彦著2018年6月発売「今の巨大中国は日本が作った」から◇◆
「今の巨大中国は日本が作った」の中に古代朝鮮半島と日本の地図が掲載され、そこで金管加羅諸国と九州が同じ点線で囲ってあった。
663年倭国滅亡と図の下に記述・白村江の戦の敗北も663年・日本の建国が668年・百済滅亡が660年

「北朝鮮が処理されてきた歴史」の項目から抜粋

唐と新羅の挟み撃ちにすることで高句麗はついに滅んだ。
その8年前の660年には百済も滅ぼされた。この百済を救援に向かった倭国の軍勢2万8000人が白村江の戦いで全滅した。(663年)
この時天智天皇は、福岡まで兄貴分の倭国を支援するために山門から着ていた。
だが倭国の軍勢が白村江で全滅したのである。王たちは捕虜になって帝都洛陽まで連行された。
そこで天智は急いで大津(琵琶湖のほとり)に戻り、ぶるぶる震えながら強固な城を築いた。
唐と新羅の連合軍が攻めて来ると必死に防護の体制を造った。
ところが、何とこの後新羅が唐帝国と内紛を起こして分裂した。これで天智天皇が率いる山門国(機内の王国)は救われた。
この後天智天皇は西暦668年「日本」という言葉を使い始めた。
これが日本建国(668年)である。
これは故岡田英弘東京外語大学教授の学説であるが、現在、日本史学会でも、これがイヤイヤながらも通説となっている。

そしてほとぼりが醒めた頃、唐からの招きがあった。天智は何食わぬ顔をして、遣唐使を出した。(702年)。
ここで滅んでしまった兄貴分の国である倭国までまとめて「日本」国の王であると主張し、唐帝国に認められた。これが日本史の真実である。

岡田英弘元東京外語大学教授著『倭国の時代 』
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480425393/

岡田英弘元東京外語大学教授著『日本史の誕生―千三百年前の外圧が日本を作った 』
https://bookmeter.com/books/416511
─────────以上貼付終わり。───
日本の古代史の倭国の謎として倭国とは、朝鮮半島半島の南部の任那・伽耶・金管加羅・加羅諸国と北部九州から近畿までの地域の統一されていない国々だった可能性がある。

この地域の国々は古日本語を話す地域で方言程度で話が通じた可能性がある。

中大兄皇子、後の天智天皇が、百済の白村江の戦で主力の倭国軍が全滅した倭国の混乱状態のなかで唐・新羅軍への恐怖をあおりながら倭国を日本国として統一した可能性が強い。

だから百済南部・任那・伽耶・金管加羅・加羅諸国は倭国だったので古日本語が話されていた。古日本語は新羅に支配される中で消滅して行ったのが真実と思われる。

故岡田英弘氏は日本語は漢人が作った造語との説をとっている。それで朝鮮語とヤマト言葉は似た言葉が少ないとしているが。自分は南部朝鮮に古日本語話者が多かったとの説をとる。