○「従軍慰安婦」問題が生まれた過程

 「従軍慰安婦問題」の端緒は、吉田清治という日本人が1983年に出版した本のなかで「軍の命令で済州島で慰安婦狩りを行った」と告白したことである。
この告白は虚偽であることが後に韓国人記者や日本の研究者によって暴かれたが、韓国ではその本が翻訳されて、「慰安婦強制連行説」が広まってしまった。
そして、韓国政府が政治カードとして用い始めた。

 1991年8月、朝日新聞が、軍隊によって女子挺身隊の名で戦場へ連行されたという金学順なる「元従軍慰安婦」がいると報道した。
「従軍慰安婦」という言葉は、初出は昭和53年刊行の千田夏光の著作「従軍慰安婦」らしいが、この報道以後頻出するようになった。
しかし、その数日後に彼女は「養父に売られた」と語っていたのである。
記事を書いた記者は植村隆といい、後に賠償謝罪要求訴訟を起こした原告組織の韓国人常務理事の娘婿であった。
その頃、朝日新聞は吉田清治の本の宣伝も行っている。

 1989年末から高木健一や福島瑞穂ら日本の弁護士が韓国へ行き、賠償と謝罪を求める訴訟の原告となる「元従軍慰安婦」を探し始めた。
提訴は、宮沢首相訪韓を政治的好機としてその直前に照準を合わせて1991年12月に行われた。
三人の原告の一人は金学順である。訴状には彼女は養父に売られたと書いてあったが、裁判開始後に強制連行されたと主張を変更した。

 提訴と並行して原告と支援者が連日のように内閣外政審議室に要請に押しかけ、騒然たる雰囲気になった。
それに呼応して、国会で野党議員が政府の速やかな調査と対応を求めた。

 翌年1月11日、宮沢首相訪韓の5日前に、朝日新聞はあたかも「日本軍が強制連行に関与した証拠」が見つかったかのように報道した。
この報道は誤りで、その関与の証拠なるものは、朝鮮では拉致・誘拐などを行う悪徳業者がいるので警察と連携を密にして社会問題にならないようにせよという軍の注意文書だったことが、後に判明した。
しかし、追い討ちをかけられた宮沢首相は検証する時間的余裕もなく訪韓し、真相を知らないまま安易に謝罪した。
朝日新聞の報道は単なる事実誤認というより、意図的なものと疑われている。

 上述の経緯をみれば、朝日新聞が、そして野党国会議員も、「従軍慰安婦問題」の形成に大役を果たしたことは間違いない。

http://cutenao.himegimi.jp/ianfu.htm