鳥取市にある弥生時代の遺跡で見つかったおよそ40点の人骨のDNAを最新の手法で分析する調査を、国立科学博物館や国立歴史民俗博物館などが始めました。まとまった数の弥生人のDNA分析を詳細に行うのは初めてで、研究グループは「調査を通じて日本人の起源に迫りたい」としています。

この分析は、鳥取市にある青谷上寺地遺跡で見つかった弥生時代後期のおよそ40点の人骨を対象に、国立科学博物館や国立歴史民俗博物館、鳥取県などの研究グループが始めました。

調査では、保存状態のよい頭の骨や歯からわずかな量のサンプルを採取してDNAを抽出し、遺伝情報を分析したうえで、弥生人どうしの血縁や髪の毛や目の色といった身体的な特徴などを明らかにする予定です。

まとまった数の弥生人のDNA分析が詳細に行われるのは初めてで、研究グループは、稲作などの新たな文化を携えて大陸から渡来した人たちが日本列島でどのように広がり、今の日本人につながるのか、解明したいとしています。

国立科学博物館の篠田謙一副館長は「DNAの分析技術の進歩で、かなりの遺伝情報を得ることができると期待している。今回の調査を通じて日本人の起源に迫りたい」と話しています。

■“地下の弥生博物館”と呼ばれる遺跡

鳥取市の海沿いにある青谷上寺地遺跡は、およそ2300年前から1700年前の弥生時代の集落跡で、平成10年から発掘調査が続いています。

平成12年には国内で初めて当時のヒトの脳が見つかり、全国的にも大きな注目を集めました。

脳が残っていたのは、遺跡が粘土の層に覆われ地表の空気に触れることがないなど、保存状態がいいことの表れとされています。

また、発掘された100体以上の人骨の中には、矢じりが刺さったり鋭利な刃物で切りつけられたりして殺害されたとみられる痕跡も見つかりました。

弥生時代後期の2世紀ごろには、「魏志倭人伝」などの中国の歴史書に「倭国が乱れた」という記述が登場し、女王「卑弥呼」を立てることで争いはいったん収まったとされています。

青谷上寺地遺跡で見つかった人骨などの状況は、当時の日本列島で大きな争いがあったとされる魏志倭人伝の記述などをほうふつとさせることから、専門家の間からは「弥生時代の戦いの具体的な姿を示すものだ」として注目する声が上がりました。

ほかにも大陸との交流があったことを示す1世紀ごろの中国の貨幣や、朝鮮半島でも同じものが見つかっている占いに使われた動物の骨など、数十万点を超える資料が出土したことから、青谷上寺地遺跡は「地下の弥生博物館」とも呼ばれています。

■DNA分析で何がわかるのか

今回の青谷上寺地遺跡の調査では、分析が容易な一方で情報量は少なく、母親からのみ受け継がれる「ミトコンドリアDNA」と、両親から受け継がれ、膨大な情報量がある「核DNA」の分析が行われます。

このうちミトコンドリアDNAの分析は、1980年代から行われ、古代の人骨分析では主流となってきました。

ミトコンドリアDNAの配列の違いを調べれば、古代人がどの集団に近いのかを知ることができます。

例えば、青谷上寺地遺跡から出土した人骨は、現代の日本人に近いのか、東アジアの集団に近いのか、あるいは東南アジアの集団に近いのかなどを明らかにすることができるのです。

一方の核DNAの分析は、21世紀になってから急速に進歩しました。
核DNAからは、男女の別、目や髪の色といった体の特徴、それに病気のなりやすさまで知ることができるとされます。

また両親の情報を分析できるため、ミトコンドリアDNAよりも詳細に集団のルーツをたどることが可能です。

核DNAの分析は世界各国で進められ、さまざまな地域の人のDNA配列がデータベースとして公開されています。

青谷上寺地遺跡で出土した人骨と比較することにより、弥生人がどのような特徴を持つ人たちと近い関係にあるのかを明らかにできる可能性があります。

さらにこのところ研究が進んでいる縄文人との比較も可能で、日本人はどのようにして成立したのか、

以下見出しのみ 全文はソース先で

■詳しい年代も明らかに?

■日本人の起源解明に期待

2018年8月2日 11時49分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180802/k10011560171000.html

★1が立った時間 2018/08/03(金) 16:37:54.96
前スレ
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1533281874/