久美子は2004年に大塚家具を一旦辞めて、
筑波大の法科大学院へ入学しつつ、コンサルタント会社を立ち上げてる
あまり中身のない会社だったが、この頃に知り合ったコンサル関係の人たちから変な影響を受けてるっぽい

2007年に父・大塚勝久にインサイダー取引疑惑の濡れ衣を着せようとしたのも久美子一派(久美子をトップにして勝久を追い出したい一派)
この頃から会社を久美子をトップに据える計画が実行に移され始めてる

2009年に大塚家具に久美子が帰ってきて社長に就任、取締役や社外取締役に、次々と変なのを入れた
勝久氏はそれらに黙って従った
2013年頃から、久美子が安売り路線を提唱し始めるが、勝久氏それを認めず対立
2014年7月の取締役会で久美子を解任する

久美子はマスメディアを通じて積極的に情報発信し、世間のイメージを味方に付ける作戦に出た
マスコミも、親子喧嘩として面白おかしく取り上げた
この間、勝久氏はマスメディアに一切情報発信していない
ワイドショー化したら大塚家具のイメージダウンが避けられないことを深く理解していたからだ
勝久が反論しないのをいい事に、久美子の作戦通り、「古い体質の老害 vs 革新的な美人経営者」の構図が出来上がっていく
そして2015年3月の株主総会で、勝久は会社を追われることになる
その後、大塚家具が創業者である勝久に対してした仕打ちはほとんど報じられることもなかった

勝久は急遽「匠大塚」を立ち上げた
久美子は優秀な社員を次々とリストラしたが、勝久はその社員達を今のところ全て受け入れている
これまでにおよそ300人
匠大塚は規模こそ小さいが、着実に業績を伸ばしている
大塚家具側から勝久に「名誉職に復帰して欲しい」という打診が何度かあったらしい
親子喧嘩して父親を追い出したイメージを今更払拭したいという狙いだ
久美子本人から言われたら勝久も考えたかもしれないけど、代理人から言われただけなので勝久は断っている

大塚家具は180億もあった内部留保をほとんど使い切って身売り
早い段階で勝久に相談するなり泣きつくなりしてれば何とかなったかもしれん

勝久が赤字を出したとの、久美子発信の情報を信じ切ってるアホがいるが、決算書を読める人なら誰でもわかる
大塚家具時代、勝久はただの一度も赤字を出していない