【岩手】蝦夷のリーダー“アテルイ” 「大墓公」姓、朝廷が授与 「大墓公という姓は、地元のランドマークだった角塚古墳から取られた」
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墳丘上から杉の木が伸びる角塚古墳。古代から「胆沢地域のランドマーク」だった可能性がある(奥州市で)
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角塚古墳周辺の主要な遺跡
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由来「古墳」「田茂山」からか
平安時代初期、胆沢(現奥州市)を拠点に朝廷軍と対立した蝦夷(えみし)のリーダー、アテルイ。今も歴史小説やドラマ、舞台の主人公として人気だが、文献上の記述は少なく、その生涯には謎も多い。近年、遺跡の発掘成果などを基にした新たな研究で、意外な人物像も浮かび上がってきた。その一端を紹介する。
世界遺産候補になった大阪府堺市の大山(だいせん)古墳(仁徳天皇陵)で知られる前方後円墳。円形と台形の墳丘を合わせた堂々たる造りで、大和王権の権力のシンボルとも言える有力者の墓だが、奥州市胆沢には国内最北の前方後円墳がある。
角塚古墳は全長約45メートル。高さ約4・5メートルの円形の墳丘から立派な杉の木が伸び、地元では「一本杉」の愛称で親しまれている国の史跡だ。築造は5世紀後半とされ、同じ胆沢で8世紀後半に活躍したアテルイとは約300年の開きがある。近年、二つの時代をつなぐ発掘成果が相次いでいる。
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角塚古墳周辺の繁栄の様子が分かるのは、約2キロ北にある5世紀代の中半入(なかはんにゅう)遺跡(奥州市水沢)だ。大阪府産の須恵器や宮城県産の黒曜石、久慈の琥珀(こはく)などが出土しており、近畿地方の古墳文化の影響を受けつつ、北東北の文物も受け入れている。
石包丁などもあり、胆沢周辺ではコメ作りが盛んだったことがわかる。より北の地域では弥生時代に稲作が流入したが、寒冷のため根付かなかったとされる。胆沢は農業文化圏と非農業文化圏の交接点で、角塚古墳に埋葬された人物は、両地域の物資の流通を通じて力を蓄えた有力者の可能性がある。
その後の遺跡として注目されるのが、5世紀後半〜6世紀前半の墓がまとまって見つかった沢田遺跡(奥州市胆沢)だ。角塚古墳の築造に関わった勢力の末裔(まつえい)による遺跡と解釈されているが、前方後円墳ではないため角塚古墳の被葬者より格下とみられる。
当時は大和王権の力がより強固になり、東北でも徐々に地域の有力者の力がそがれていったとされる。墓の形の変遷は、中央と地方の力関係の変化を示しているのかもしれない。
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沢田遺跡に隣接する石田I・2遺跡でも大規模な集落跡が見つかっており、特に7世紀後半〜8世紀前半には竪穴住居が急増した様子が見てとれる。水田が広がり、南北の交易地として繁栄した胆沢でアテルイは生まれ育った。
姓の「大墓公」は朝廷から与えられたものだ。この時代の文献では前方後円墳を「大墓」と称する例がみられる。地元の歴史研究団体「アテルイを顕彰する会」事務局長の朝倉授(さずく)さん(68)は「大墓公という姓は、地元のランドマークだった角塚古墳から取られた」と解説する。大墓を「たも」と読み、奥州市内の地名の「田茂山」が由来とする説も根強い。田茂山はアテルイが朝廷軍と戦った場所で、この説を有力視する研究者も多い。
いずれにしても朝廷から姓を授けられたという事実は、アテルイ一族が朝廷と良好な関係を深めていた証しだ。アテルイはどのような心境の変化から“反逆者”になったのだろうか。
アテルイ
本名は大墓公阿弖流為(おおはかのきみ・あてるい)。8世紀後半〜9世紀初頭、現在の奥州市を拠点に、朝廷に属さない蝦夷を率いた。延暦8年(789年)に朝廷軍を破ったが、同21年(802年)に征夷大将軍の坂上田村麻呂に降伏し、河内国(現大阪府)で処刑された。
読売新聞 2018年08月07日
https://www.yomiuri.co.jp/local/iwate/news/20180807-OYTNT50058.html こっちの歴史って全然習わなかったなぁ。ファンタジーみたいで楽しいだろ アテルイって訛りで安倍がアテに聞こえた訳ではないのかな
と昔からちょっと思ってしまうのだけど…やっぱ違うのだろうか 蝦夷はそこそこ強かったから名前残ってるな
それに比べてマジで糞雑魚だった東夷トンキン・・・ 手強いんで取りなす約束をしたのに田村麿と朝廷に
騙されて処刑されたんだよなぁ
後に源義家も安倍氏に勝てなくて秋田の清原氏の
力を借りてどうにかしたし
戦国最後の戦いの九戸政実の乱も上方軍は
勝てなくて結局は和睦を申し込んだ上で虐殺するんだよね
守りに入るとあの辺の人間は異常に強いんだよね そりゃあ墓場なんて縁起悪い名前送ったから切れたんだろ
隋の皇帝も日没皇帝呼ばわりしてキレさせていたし 東北の正しい歴史が日の目を見れば
この時代の歴史はひっくり返るからな >>11
田村麻呂も天皇やお貴族たちに騙されたんじゃなかったっけ
助命嘆願を最後までしてなかったっけか >>15
関東もそうでしょ。地名にそれらしいのが多数残ってる エミシって、平定されて以降は結局どうなったの?
俘虜となって各地に送られたみたいな話きくけど。千葉方面とか。
長嶋はエミシの末裔なんていう奴もいるが。 田村麿が初代大将軍なのにその後は源氏の独占状態になったよな
お飾りで親王がやったりもしてたけど 勝手に勢力をどんどん広めて原住民を迫害したヤマトとか言う無法者集団なんなの? NHKでドラマ化してたね。アテルイは堀の深い西洋人顔なのに演じてる役者がもろ扁平で
一重でしっくりこなかった。
大和朝廷に反旗を翻した反逆者は、東北の蝦夷のアテルイと、関東の平将門。
平将門役の加藤剛か北村一輝みたいな二重で堀の深い顔がアテルイのイメージ。 >>11
松前藩も騙し討ちで殺してたな
ネアンデルタールも虚構の概念無くホモに絶滅されたり正直者は生きられるぬ NHKでやったドラマ面白かったな
もう少し長い内容で見たかった
聖霊のなんちゃらとかやるならあれをやって欲しかった >>11
土佐の山内一豊も一領具足を騙し討ちで虐殺してたな >>11
和睦を受け入れた方だって劣勢だから受け入れたのだろw
和睦の形を取れば指導者に従った部下は免責されるからなw
和睦を受け入れた段階で反逆した指導者はまな板の上の鯉だろwww >>26
>聖霊のなんちゃらとかやるならあれをやって欲しかった
それは言えるなw >>28
あれはいかにも土佐人らしく単純で、可哀想過ぎる(´-ω-`)
しかし、吉田東洋の代まで長曾我部の重臣が山内家に仕えていたのだから実際は下士への差別もあそこまで酷くはなかったんだろう >>16
表面的にな
助命嘆願とかしている。ただ単にポーズだろw >>32
だってメスの牛とマグ合う民度だぞ
ほとんど土人と変わらない。まあだから一時四国制覇できたのだろうなwww >>25,28
そもそも大和政権は大国主命勢力も騙し討ちしてそうだし、日本武尊は男の娘までやって騙してたし、筑紫国造磐井も地元の言い伝えからしたら騙し討ちだし…まぁ、枚挙に暇がないのは確かだけど >>11
冬になると戦さにならないから攻める方は春から夏に
勝負しなきゃならない秋が深まると引かなきゃならんから守る方は相手の攻撃は受け流して相手が引く時に攻めるわけよあの辺は 阿弖流為は坂上田村麻呂と和平の約束をして朝廷に出向いたら殺されたんだよね?
茨木には首塚があるし、戦の神をまつる鹿島神宮には阿弖流為の首の木像がある。
ちなみにアイヌが形成されるのは数百年後の10世紀。
アイヌを日本の先住民というなら阿弖流為たちはなんだったのかという。 最近、大和朝廷のことを大和王権とかいう歴史学会のブサヨ勢力、
えらくウザいんだが。 >アテルイ
外国人じゃないんだし「あてるい」とひらがな表記すべきだろ
>コメ作り
読売も、朝鮮人だらけなのか
情けない >>41
アテルイの生き残った一族の血が後の安倍氏に
入ってると言われてるね
だから奥州安倍氏の子孫を名乗る日本国総理の
アベちゃんがその後のアテルイの末裔だね >>44
大河ドラマの清盛でも天皇を王呼ばわりして問題になってたな >>16
そうそう。
相手と信用しあって京に連れてきてるのに、
上が決めたら覆せない中間管理職というか・・・ 会津・庄内藩は、プロイセンに北海道を渡して武力介入させ、天皇を傀儡にして操るつもりだった。
その書簡がドイツ国立軍事文書館で発見された。
http://blog.livedoor.jp/chachachiako/archives/28769788.html
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201102070075.html
プロイセン海軍大臣は、日本の混乱に乗じて、領土確保すべきと進言したが、
宰相ビスマルクは国際協調を重視し、武力介入を断っている。
会津・庄内藩は、北海道を売って外国軍に武力介入させ、天皇のクビを挿げ替えて、国を奪おうとしていた。
歴史を見れば、東北はずっと反日。
エミシ族は、常に日本の中央政権に最後まで反抗してきた。
最近は、人災で起こされた原発事故とか。 アテルイじゃなくてアトロイだろ
今も岩手に地名が残っているぞ
跡呂井は北上川水系の中心地
当時の輸送は水路だから交易の中心地だった >>54
ラストサムライのモデルになった会津の外人サムライもドイツ人だったな。 >>45
当時は海外だぞ?
初代征夷大将軍が平定して、12世紀まで混乱が続いた。 >>4
教えれるほどのものがないんだろ
アテルイとかも1990年くらいからのブームで
昔はほとんど無名だったんじゃね
誰が火付け役なの >ネアンデルタールも虚構の概念無くホモに絶滅されたり
ネアンデルタール人も現生人類もホモだから言ってること通じねーよ。
ホモ・ネアンデルターレンシスとホモ・サピエンス。 >>49
それw
阿弖流為とケンシロウの見分けがつかないw >>4
関東で発掘された縄文人のDNAを調べたら、アイヌと一致。
では、エミシ族はドコからやってきたのか?
アイヌのように口伝もなく、大和民族のように文字もない。
文化レベルが低いので謎だらけ。 正当な「日本」は近畿の一帯だけ
関東も東北も違う民族が暮らす他所の国だった はいはい、田舎者同士のマウンティング
susucoin:Sf9ieFqcN9h6TEEjcvAXtqgg1cbS22wxF5 アテルイって何年前か忘れたけど
大沢たかお主演のドラマになってたよね?
さいしょのとこだけ観て、面白くないから見るのを止めた >>11
兵站の問題じゃね?
あと騙されやすいなw >>63
炎立つが火付け役だと思ったけど、その前からブームがあったのか。 庄内弁からみえる朝鮮との交流
【ハングル(意味)】 ⇒ 【庄内弁(意味)】
「〜ニカ?」(〜ですか?) 「〜ねが?」(〜ですか?)例:「寒ぐねが?」
「〜ニャ?」(対等形の疑問) 「〜にゃ?」(〜だろ?)例:「寒にゃ?」
「〜ジ」(強調の終結語尾) 「〜じ」(〜だよ)例:「んだじ(そうだよ)」
「アガ」(赤ちゃん) 「あが」(赤ちゃん)
「アッパ」(父ちゃん:幼児語) 「あっパ」(父ちゃん)
「アネ」(女房) 「あね」(女房)
「イッタガ」(居たが、あるが) 「いっだが」(居たが)
「オブバ」(おんぶしてやるよ) 「おぶっさげ」(おんぶしてやるから)
「モッケスムニダ」(ご馳走になります) 「もっけだの」(恐縮です、ありがとう) >>3
知らないのなら少しは調べて書き込めばいいのに…
大人として情けなさ過ぎる書き込み
否定するにしても、もうちょっと頭の中身がマシに思える書き込みができないんだろうか >>70
一時期一部で話題になったしな
ネオ麦茶とか
単行本持ってるわ >>67
俺が聞いた話じゃ、ドイツ人だったぞ。会津で籠城して・・・
最後は会津藩士を引き連れて南米に移民したとかゆー外人。 >>77
いや、ごめん、分からない
自分は一応どっかで知ってた気がするが、歴史は好きな方だったからな…
漫画なんかではよくネタにされてた気もするけどいつ頃からか分かんないし… >>11
戦で負けたんじゃないの?
正攻法で勝てないから論点ずらして人格攻撃する奴らと同じか 蝦夷って、どんな言葉を話していたかは分かっているのかい? あとはすべて朝鮮人と同じかw
嘘も1000年言い続ければw >>68
エミシの酋長を名乗った安倍氏の安倍貞任の弟の
安倍宗任が京都に送られて見に来た公家に嘲られた
時にその公卿に向かって
「我が国の 梅の花とは見つれども 大宮人は 如何言うらむ」
と咄嗟に和歌を詠みその公卿を恥じ入らせたのは
有名だよ
普通に日本語使ってたんだよ >>60
網野義彦じゃないかと思っている。
日本という国の支配地、権力を矮小化した史観に朝日や毎日が飛び付いて、隆慶一郎や宮崎駿にインスピレーションを与えた。という感じかな 小沢一郎のいわゆる『反日精神』はここから来るのか? >>81
ああ、スネル兄弟ね
でも武器商人だよ
普通は、ジュール・ブリュネを連想するんじゃないかね
Jules Brunet
https://en.wikipedia.org/wiki/Jules_Brunet
His actions inspired the character of Captain Nathan Algren in the 2003 movie The Last Samurai. >>23
お前はそいつらの子孫か
そいつらに服従した負け犬の子孫なんだぜ ヤマト政権内の権力争いに敗れた勢力は東北へ逃れた可能性もあるな
アテルイの祖先もそうだったのかも >>87
安倍氏は俘囚長(俘囚の中から大和朝廷の権力によって選出された有力者)であった。
文献上では、康平7年の太政官符に「故俘囚首安倍頼時」との記載がある。
安倍氏は朝廷から派遣されて東北を統治していた。
日本語を使うのは当然だろ?
俘囚でググってごらん。 アテルイが話していた蝦夷語の形跡はあるだろうけどな。
学者ってこういうのを復元すればいいのに。 >>32
吉田氏は元々は山内氏と遠い遠い縁戚だから例外中の例外 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています