気仙沼 一関 釜石 ここら辺一帯は古代百済の言葉が残っている。釜石の地名は古代百済語で砂鉄という意味。

天平21年(西暦749年)には聖武天皇の御世、陸奥の国守百済王敬福が朝廷に黄金を献上している。

顔立ちも朝鮮半島の慶尚南道、全羅南道の人と同じ顔立ちが多い。

釜山という地名も古代百済語が漢字変換で音が変化したと考えられるが、鉄に関係していてる。

おそらく蝦夷とは百済系の渡来人の独立王国で、アイヌを追いやり大和朝廷に離反した勢力であったと考えられる。

しかし!現代の朝鮮民族と古代百済は別民族です。