>>334
774年に始まったエミシ征伐は811年までに終了てか頓挫している
空海の記述が820年頃ならばもう朝廷ではエミシの様子はほぼ分からなくなっていたはず

ちなみにアテルイが死んで朝廷が東北を支配したと誤解してる人が多いが
実際は正反対で、田村麻呂の奮闘もむなしく東北は荒ぶるエミシ族長の支配下におかれた
朝廷は城(正確には軍事と農業をかねた支配地のこと)を要所要所に築いただけで
広大な土地の支配権は田村麻呂の時代にもそれ以後もエミシ族長にあった
これはそもそも朝廷軍が極めて弱くて、エミシ征伐を朝廷が雇ったエミシに実行させていたからである(いわゆる蝦夷爵)
あるエミシを征伐しても、それを実行するのもエミシなのだから
結局土地の支配権はエミシにあるわけだ
このような無意味な対エミシ戦争は38年に及び、田村麻呂が死去して間もなく終結する
朝廷が獲得した要衝の城ものちに放棄されたものが多い

諦めきれない朝廷(藤原氏)はその後も散発的に征伐を行うがどれも失敗している
その後の東北の歴史は100年以上不明である
11世紀になると前九年の役・後三年の役が起きて倭人貴族が戦争してるわけだがこのときエミシは大勢力ではない

つまり空白の100年にエミシはなぜか自滅していったことになり大きな謎とされている
近年この時期の東北を発掘したらエミシの戦争跡らしきものが出てきた
田村麻呂らによりエミシ同士で骨肉の争いをした結果、田村麻呂以後もエミシ同士の内戦があったのではないかと言われている