伊治呰麻呂(これはりのあざまろ)というエミシを調べると面白いよ
これは朝廷側に協力したエミシでもともと朝廷のエミシ捕虜の出身と言われるが
778年にはエミシ征伐で格段の武功を上げ官位を授かる(従五位下)
しかし朝廷側の東北支配官僚に侮辱されたのを深く恨み
780年には朝廷の重要拠点である多賀城を略奪して放火
このときのいわゆる呰麻呂の乱で朝廷側の身分の高い貴族も殺されている
その後呰麻呂が捕縛された記録はないのでそのまま東北で暮らしたんだろうね
ここで解るのは朝廷側もエミシを使ってエミシ征伐をしていたこと、
そして朝廷エミシの戦闘力のほうが朝廷の貴族本軍を上回っているので内部反乱されても征伐する余力もなかったことなのだ