えーと、左翼の皆さんに聞きたい、生産性で人を差別して何が悪いのですか?

生産性で人を差別しないと言う事は【生産に寄与しない人間を生産に寄与している人と
同じ待遇で扱え】ということです。

つまり、生産性で人を差別しないということは【子供の生産に従事しない寄生虫のLGBTを
子供の生産に寄与している働き者の異性愛者の支払う税金の負担の犠牲で支援するということ】です。

しかし一体なぜそうあるべきなのですか?

一体なぜ寄生虫のLGBTのために子供の生産に寄与している異性愛者が犠牲にならなければならないのですか?

あるいはこのように言い換えた方がわかりやすいでしょうか?

生産の恩恵を受け取るべきなのは生産に寄与している異性愛者でしょうか?

それとも何も生産に寄与していないLGBTでしょうか?

もし生産性で人を差別しないなら、その答えは、【生産に寄与しない人間は生産に寄与した人の犠牲で
生産の恩恵を受け取るべきである】ということになる。

そしてそれが極左ジェンダーフリーカルトが誤魔化しているけれども本当に言っている事である。
つまり、【生産活動から利益を得るべきなのは生産者ではなく何もしていない寄生者である。】

リバタリアンと多くの保守派は生産の恩恵を得るべきなのは生産に寄与した人であると信じる。
生産性で人を差別する事に悪い事はなにもない。