弓削道鏡・・・称徳天皇の支援のもと、法王にまで登り詰めた異例の怪僧
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ここから女帝が道鏡を皇位に就けようとする事態に発展した。

この計画は藤原百川らを中心とする律令貴族の暗躍と、和気清麻呂の儒教的倫理観によって失敗したが、
女帝にとって道鏡はそれほどに重く、愛しい存在だった。

しかし、770年(宝亀元年)、女帝が53歳で崩御すると道鏡の命運も尽きた。
彼は罪を問われ、まもなく下野国薬師寺別当として流され没した。
弓削一族も枢要な地位にあった者は土佐に流された。