【お江戸の人らは稗や粟を食べてはるらしいどすなぁ】江戸時代の毛髪分析で食生活判明 上方人は江戸っ子より米を多く食べていた可能性
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江戸時代の毛髪分析で食生活判明
http://www3.nhk.or.jp/lnews/kyoto/20180814/2010001257.html
※NHKローカルニュースは元記事が消えるのが早いので御注意を
江戸時代に出版された本の繊維に紛れ込んだ髪の毛を分析した結果、
当時の食生活や地域間で食事の内容が違うことがわかったと、
龍谷大学などの研究チームが発表しました。
これは龍谷大学理工学部の丸山敦准教授の研究グループが14日、
イギリスのオンラインの学術雑誌で発表したものです。
江戸時代の本の表紙に使われている再生紙には、当時の人の髪の毛が繊維にからまって
紛れ込んでいることがあり、研究グループは、本が出版された時期や地域ごとに、
髪の毛に含まれる窒素や炭素を特殊な装置で分析しました。
研究グループによりますと、窒素や炭素の同位体の比率からおおまかな食事の内容がわかり、
▼江戸時代中期から後期にかけて海の魚を食べる割合が次第に増えていったことや、
▼江戸の人たちがアワやヒエなどの雑穀を多く食べていたのに比べ、
京都や大阪の人たちはコメを多く食べていた可能性があることが確認できたということです。
江戸時代の本は古本市などでも手に入りやすいことから、丸山准教授は、
「今後は研究の材料をさらに収集し、細かい年代や地域を分析して
飢きんの時期に、何を食べていたのかなどを調べていきたい」
と話していました。
08/14 18:05 逆だろw
江戸患いってな白米病が蔓延していたそうな。 >>57
壊血病予防にはライムよりもレモンの方がいい。
でも、イギリス海軍はケチだから安いライムのジュースを積み込んだ。
だから今でもライミー(ライム野郎)はイギリス人に対する蔑称。 江戸末期総人口3000万、水田面積180万〜200万町歩
平均反収(白米換算)100〜150キロ、年間一人当たり男性消費量450キロ、女270
どんな甘く見積もっても二人に一人分しかないんだが
ヘンテコ学者は現在の栽培基準とか消費量とかをごっちゃにしてる気がする >>43
江戸で白米中心の飯で
国元に戻ると雑穀飯
これは参勤交代でお供する武士の話な 春画の間にはさまっていたチン毛を分析。幸運にもセンズリで射精した精子も付着
していてDNAをゲット。 関東の百姓が粟や稗を食っていたってのなら分かるけど
書物に関わる都市部の人間が雑穀食っていたのかね?
江戸の町に雑穀の流通ルートがあったのなら意外な話というか
落語とかだと米しか出てこないからね 独り者の男が栄養バランスのとれた食事を
とるのはなかなか難しい。
江戸は独り者の男が多かった街だから
さもありなんと夢想してみる。 >>77
日清日露の頃は
兵隊に腹いっぱい白米飯を食わすのが
兵隊を懐柔するのに一番効率的なことだったからな。
白米=銀シャリで文句出ない。
太平洋戦争では日本兵は反乱起きなかったな
兵站崩壊しているのに反乱起こさない軍隊は古今東西
太平洋戦争時の日本兵くらいだろなw >>113
バランスのとれた食事たぁ、随分ハイカラな江戸っ子もいたもんだw >>107
昭和天皇が死ぬ間際まで米の出来を気にしてたからね。
農業技術の発展は直近50年くらいだろうね。 >>112
江戸町人は白米主体じゃね?
すしなんかも、屋台で普通に喰っていたみたいだし、
握り飯2個くらいの大きさに、魚が丸々一匹載っていたのが、
江戸前のすしだったそうだし。
一個300円くらい(現代換算)だったそうな。 >>112
蕎麦を信州人で成り上がった連中が珍重して今やA級グルメ扱いまでに至らせてるからねえ >>114
それは帝国陸軍が慰安婦をえさに兵隊を集めていたからだ
従軍慰安婦がいなければ、脱走や反乱が頻発していたはず まあ江戸と一口で言っても260年間あるし
身分の上下は今よりひどいからね
いつも米食ってたか食えなかったかって論じるのもどうかなあ
あとさ、>>1は本にはさまってたってわけでしょ
ってことは識字層、それも本に興味を示す層なわけだよね
そこのところで一定の偏りは出ると思うけどなあ
だってほら、この板のネトウヨみたいな本を読めない無教養層は
そもそもサンプルにならないわけであってさw
まあ、これもいつもいうんだけど江戸時代のネトウヨは
反故紙問屋の周りをうろうろして春画の摺り損ないの反故だけは
熱心に収集していたって横町のご隠居が言ってたけどねwww 白米ばかり食べて脚気になるのを「江戸患い」と呼んでたのに、
京患いや大阪患いなんて聞いたことない
江戸と上方では、オカズの種類や割合が違ったのか >>117
ゴクツブシといえばネトウヨを指す様な感もあるがw
本義を言えば酒だよ、酒。
実際清酒にしろ焼酎にしろ穀を潰してつくるわけでね
だから関西周辺に酒造業が多いのはこれは>>1の事情と関係あるかもね >>93
おまえがウンコ大好きなことはよーくわかったw >>56
そば食うと劇的に脚気が直るのを経験則で知ってた
だからプライドの高い武士階級に発病 きび団子を食べていた岡山は江戸ではありませんが、上方にも含まれませんってやつか >>118
米は大阪に集まって そこから船便なんだよ。
そして 戦国時代・江戸初期の石高
関西はたかく、関東・東北は低い。熱帯の食物なんだよ。
武田討伐で 信長は信州でそば食ったって言うけど 米が作れないんだよ。
今現在の関東平野は米作田んぼばっかりだけど
それは 廃藩置県後に薩長の下級氏族が実質的な恩賞として賜った領地を
開墾し用水路を弾いたから倍増し、
さらにはGHQによる農地改革と 地下水汲み上げ技術の進化のおかげで 一面田んぼになった。
関東の田んぼには ポンプ小屋っていうものがよーくみうけられる。 >>124
やっとレスが付いたw
ガチで学術トークを語った時に空ぶると虚しいことおびただしいwww
まったくネトウヨ板のネトウヨどもも日本が好きだ好きだというなら
その日本の真実を刮目して両目とアナルで熟読玩味せにゃならんのにw
往々にして親韓左派たるウリの日本史教養増進講座はシカトするので困るwww
こういうこと知っておくとタイムスリップした時に便利だと思うんだけどなあ
だっていきなり小作人として雇われた家で自作農から
「江戸に行ってウンコの買い付け行け」っていわれても
ネトウヨくんたちも、困っちゃうでしょwww こういう歴史研究は文系の専門だったのに
遺伝子やら炭素やらで理系の専門になりつつあるなあ
かつてのデタラメ文系歴史家は墓の下で泣いとるな笑笑 >>122
研究サンプルの人毛が、江戸に着て間もない人だった可能性もw
まあ、江戸の庶民風俗話にも腐るほど出て来る江戸患い。
宵越しの金全部突っ込んで、白米食っていたろう。
蕎麦食って治癒。 >>130
北限話なら、江戸時代初期の仙台の穀倉地帯、
戦国期の東北大名の争奪戦となった、庄内地方の穀倉地帯はどーなるんだよ?w 脚気は江戸病と呼ばれ、十代将軍家治公の死因にもなった。 >>79
江戸に正確な収穫量が伝わってなかったと思われる。
全国隅々で癒着馴れ合いがあり、農家の隠し田畑があちこちにあっただろう。
充分な収穫量があっても毎年今年は不作で不作で!って言うのが虐げられた農民日本人の気質。
がっつしお国のために洗脳されてたのは武士くらいだろう。 >>1
サンプル少なすぎですわ
貧民街のやつの髪の毛でしたで終りそうな予感すね アホか。
食を切り詰めて趣味に生きるオタクが江戸に多かっただけだろ。
今のオマエラみたく。 紙は、田舎の村の地場産業ダロ?江戸でコウゾの皮むいて紙漉なんぞしないだろうに 百姓の一人当りの一食の米の量の目安
粥 一合
野菜で量を増やした炊き込みご飯 二合
白飯 三合
ぼた餅 四合
五平餅 五合
昔から農家で言われている量で文献もある
米だけで食事してタンパク質と脂質を取っていた事と労働の消費カロリーから大量の米を食べていた >>114
そうそう
で沢山の脚気患者が
確か戦死者の半数以上が病死だったかな ヒエやアワやキビは
イネよりランク低く言われるが
グラム当りのカロリーはどれもほとんど同じ
精製した白米よりビタミンが豊富に摂取できる
俺はたまにモチキビだけ炊いて食う
美味いぞ高いけど >>133
トントントンスル、マシッソヨ〜
親韓左派の両班がチミのような無識なネトウヨを啓蒙してあげるけどねw
こういう実物資料を鑑定して同時代の状況を明らかにするのは考古学の領分ね
あの、考古学って縄文弥生ばっか指す学問じゃないよ。
それ以後だって江戸だって明治大正昭和だって遺構とか出土物から歴史をみるのは考古学
一方、狭義の歴史学はテキストを読んで云々するのがお仕事なわけで
そういうわけでチミのいうような歴史学に理系侵犯がおきると考えるのは
ちょいと早計かな、カナ? >>8
気になった。
玄米から白米になった時期も知りたいね。 ていうか、男独り者が多かったんだろう?
自炊してんのかな?江戸
ガスも電気もないんだからイチイチかまどで火おこして雑穀を炊く大工?
どうなんだろう?? >>90
朝鮮渡来人(弥生人)を上から支配してたのが縄文人様だぞ
縄文人様に連行されてきたのが朝鮮渡来人(弥生人) >>143
一升と五合喰っていたのか、百姓はw
江戸時代の相撲取りが一日米一升喰ったそうだが、
百姓の方が、マッチョだったかもなぁ… >>143
タンパクも脂質も摂取できてねえよ
タンパク源が無いからみんな小柄だったろうが
これは外国も同じ
昔は欧米人もみんな小柄
タンパク源が少なかったから >>150
現代の東南アジア屋台文化みたいな感じだったっぽいな。
多くの独身者は基本屋台飯。雑炊屋?すし屋、うどん屋、蕎麦屋、
色々ファストフードかっ込んで、出勤、晩飯にしたそうな。
基本外食ばっかの江戸の独身者w >>131
人糞肥料のことね
室町時代に朝鮮通信史が日本でそれを見て生産性が高いと評していたね
つまり朝鮮半島ではその頃まで肥料という概念がなかったんだな >>111
その抽出された江戸っ子DNAからバイオ技術の限りを尽くして
現代に生まれたのがジュラシック江戸っ子であったwww てやんでいwww
まあ、なんていうのw
こういっちゃなんだけど、江戸っ子が現代によみがえったら失望すると思うよw
走れないしねw 時間を守るという観念ゼロだしw
仕事にもよるけれど商家勤めでもなければ愛社精神とか全然ないしね
それ以前に雨降ったり風吹いたりすると仕事来ないしwww 当たり前だろ
現金と同じなんだから
庶民にとって食うもんじゃない >>150
毎朝一日分の米炊いておくのが江戸の生活スタイル
都度炊いてたら燃料代バカにならんし 田舎から参勤交代で江戸に来て
生活費のために書物を売った下級武士だろ 製本用の紙はその地域ごとに作られて、その地域で製本されてたのか? >>120
どこの嘘つき民族だよ
第二次大戦の欧州で娼館なんて当たり前に行われていたぞ
占領軍が市長に治安維持を約束すると同時に娼館の維持を依頼するんだよ
大戦終了時にパリで女性のつるし上げがあったのはその為
しなかったのはドイツとソ連が戦った東部戦線くらい
互いに、相手の占領地で容赦しなかったから >>143に関連して思い出したこと
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
〜中略〜
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ<*`∀´*>
おい、スレのネトウヨ諸君、これ、誰の詩だかわかるか?
宮沢賢治、雨ニモマケズだな。
農学校教師、宮沢賢治にして玄米4合と味噌と野菜でいいといっているんだ
ネトウヨどもも鯨飲馬食すればいいというものではないんだぞwww
わかったら注文の多い料理店でも行ってこいネトウヨ
…といっても自称日本近代文学の専門家ネトウヨには意味わからないかwww >>162
本に挟まった人毛の持ち主は、
現代日本人の500人くらいのご先祖さんだろうから、
ひょっとしたら子孫の証明が出来るかもしれないw >>163
信州辺りの山里で作られた可能性高い
江戸の町中で紙なんて漉いてる訳ない
ということは、この毛髪は江戸っ子のモノではなく信州辺りの山里民のモノだ
それなら雑穀なのも頷ける 江戸の街は慢性的な水不足が伝統と伝わってます
不足は食料も同じで
鎌倉時代と江戸時代の庶民の骨格は
鎌倉時代の方が大きいそうです。 >>168
「蕎麦の名産地」と言えば聞こえはいいが、そもそも蕎麦は他の作物ができない痩せた土地でもできるからな。
今ではすっかり言われなくなったが、蕎麦は貧しい土地の代名詞だった。 米っても 銀シャリちゃうやろ?
玄米ご飯やろ?
関東は納豆のネバネバで パサパサの玄米ご飯食べる文化
関西はお茶漬けでササッと食べる文化なんちゃうかな 武士は米をお金に換えて、生活必需品を買い揃えるのに必死だったからね。 >可能性があることが確認できた
だから准教授なんだよ >>175
白米だね
江戸には精米する搗米屋がたくさんあった 江戸患い(かっけ)は参勤交代してた武家に限られてたのかな? 後世の歴史研究者の為に、現代人にも一定数の土葬が必要な気がしてきた。1万年後の歴史家にとって火葬が一般化した現代は考古学的な空白の時代になるな。 江戸は白米を食べる事がステータスで町人でも白米ばかり食べてて、
そのせいでビタミン不足で江戸患い(かっけ)が流行ったって聞いてたけど
関西でもかっけ流行ってたのかな? 秋田山形新潟のコメ産地から北前船で舞鶴あたりに上げて、堺の米問屋に送ったからちゃうんか?
江戸よりは時間的に近い 平成に生きる人間だが
天津甘栗を主食にしている
殻が溜まって捨てるのに大変なんだ!
白金の駅前の甘栗がうまいいい! ひえ、あわってどこで売ってんの?
国民の99.99%知らんと思うよ。 吉宗だったかが、稲作の技術を向上させた結果、米が採れやすくなって米の値段が下がってしまったんじゃなかったけ?? >>185
健康食品みたいな扱いで雑穀の詰め合わせは売ってるけど単独では見かけないよなあ >>104
違うよ栄養失調が江戸庶民の慢性病でした。 >>185
ペットショップに行くと鳥の餌として売ってる
あと、昔ながらのお米やさんとか >>172
米が出来れば米を
米が出来なければ麦を
麦が出来なければ蕎麦、粟、稗などの雑穀をなんだよな 徳川幕府は武家政権だから、算盤勘定をするのは武士のやる仕事じゃないって事で、遠く離れた大阪を天下の台所として、
全国からの年貢米の集積地にしたわけじゃん。
だが、江戸の町のお米は関東一帯の徳川領のお米でそりゃ当然食えるよ。
ただ、飢饉の時だっけ。
なにも取れないから蕎麦がきをうどんに混ぜて食べてみたら美味しくて、蕎麦が生まれたんだよな。 >>185
普通にスーパーで売ってる五穀米とか十六穀米に入ってるよ 米本位制の社会システムだったため、農業生産は米に偏って米ばかり食ってたと聞いたがなあ
江戸時代は世界的に小寒冷期で、どこの国の人も小柄 >>187
米価は江戸時代を通じて下落し続けたからね
武士の俸禄はずっと固定だから、米価の下落で貧しくならざる得ない構造だった >>198
フランス革命が起きた原因は、「パンが無いなら、お菓子を食べればいいじゃない」で有名な、
つまり、飢饉による革命だけど。
同じ時期、日本でも大きな飢饉が起きてんだよな。
太陽黒点とかによる、世界的な低温だったらしいな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています