安部が自民党の目指そうとするものという憲法改正草案の中身。
これのどこがリベラル(自由)なのか。安部自民党は保守(伝統文化擁護)でもなければ、
リベラル(自由)でもない。公によって仕事を創出することで左派的雰囲気を演出し、その一方で全体主義を推し進めるナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)と全く同じ。
メディア人がこれでもかというぐらいに安倍を持ち上げるのは、安倍の時に憲法を改正させて、
中国と核戦争の出来る国にするため。すべて裏でアメリカが金に物を言わせて言論工作を行っている。
共産や社民、立憲は安倍の改憲に反対しているだけで十分リベラル


1、1条(天皇の元首)
憲法上、天皇を元首にすることで中国の攻撃目標にする。
国王が元首のイギリスでは主権は国王にある。天皇を元首にすることで国民主権をなし崩し的に崩壊させ、日本を全体主義国家へ移行。
「元首」には色々な意味があり、行政の長(や主権者的な存在)という意味も持つ。
従って「国民の総意に基づいて天皇を元首」と認めることは、「国民の総意に基づいて行政権(や主権者的な地位)を天皇に委譲する」と解釈することも可能で、天皇の国事行為に付き内閣の承認を不要とした条文と合わせて、現代の全権委任法となる危険性をはらんでいる。

2、3条(国民の国旗・国歌尊重義務)
国旗・国歌を主権者である国民以上のものに持ち上げることで、国民の主権を実質的に制限(国旗・国歌を建前に国民を服従させ)、全体主義国家へ移行させる。
これが憲法に規定されると国旗国歌に敬意を払わない人間を処罰できる法律の制定が可能になる。例えば国歌を歌わない人間、国旗に礼をしない人間を罰金刑や懲役刑などに処することが出来るようになる。
主権は国民にあり、国旗国歌を主権者である国民以上に持ち上げるのは明らかにおかしい。

3、13条(基本的人権の大幅な制限)
人権の主体を「個人」から「人」へ変更
「個人」は国家に対抗する人としての概念、「人」は生物の1種族としての人の意、「個人」から「人」へ変更することで、人権が動物(国家ではなく)に比べたら尊重されるという意味になる。人権を大幅に制限して、国民運動を制約。
また、自民党は憲法13条が個人主義を助長しているとして、個人主義を目の敵にしているようだが、個人主義、個人の自由こそ全体主義やファシズムに対抗できる武器であり、民主主義の土台であり、
市場経済の本質(個人が自由に好きなもの売ったり買ったりできるのが市場経済)であり、イノベーションの源泉となる。

4、12条(自由および権利の大幅な制限→「公共の福祉」から「公益」に変更)
「自由及び権利は、常に公益及び公の秩序に反してはならない。」
自由及び権利を「公益」によって制限して、政府に対する反対運動(言論やデモ)を封じたり、財産の収容を容易にさせ、全体主義国家へと移行させる。

※公共の福祉…人権を制限できるのは他の人権と対立するときだけという考え方。
 公益(自民案)…人権を国益や為政者が公益と考えるものによって制限しようとする考え方

5、18条(奴隷的拘束禁止の文言の削除)
中国との戦争に反対する人間を逮捕投獄した際に、拷問(奴隷的拘束)を行えるようにする。
奴隷的拘束を禁止しない以上、法律に基づく拘束(留置場や刑務所での処遇)が奴隷的拘束になっても憲法違反ではなくなる。

6、21条(表現の自由の大幅な制限)
公益及び公の秩序を害することを目的とした表現の自由は禁止される。
政府に対する反対運動(言論やデモ)を封じ、全体主義国家へと移行させ、中国との戦争に反対する人間を封じ込める。

7、24条(家族相互扶助義務)
「家族は、互いに助け合わなければならない。」
介護、年金(老人の扶養)などの負担を家族に押し付けることで、国の歳出を減らし、
浮いたお金で軍事費を増大させ中国と戦争。
これが憲法に規定されると、家族や親族の扶養を義務化する法律の制定が可能になる。違反すると罰金や懲役に処せられたり、扶養費の強制徴収なども可能になる。