【古文書】加藤清正、虎皮贈られ礼状 京都の豪商伝来文書から発見
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https://s.kyoto-np.jp/sightseeing/article/20180827000182
加藤清正、虎皮贈られ礼状
京都の豪商伝来文書から発見
加藤清正が虎皮を贈られたことへの感謝をつづった書状(京都市中京区・京都文化博物館)
虎退治の逸話で知られる戦国武将の加藤清正が、虎皮の贈り物を受けたことへの感謝をつづった書状が、中近世の金工師で豪商だった後藤家の伝来文書の中から見つかった。京都文化博物館(京都市中京区)が寄贈を受けた文書群に含まれていた。同博物館は「虎狩りをした清正が、虎皮を受け取る側で登場している。関連は不明だが、調査を進めたい」としている。
後藤家は、始祖の祐乗(ゆうじょう)が室町幕府8代将軍の足利義政に仕え、刀装具などの金工師として江戸末期まで活躍した。同博物館は5月、京都を本拠にした後藤勘兵衛家の伝来文書約70点を同家子孫から寄贈された。
加藤清正書状は、勘兵衛家が正月の祝いに「虎皮1枚」と大皿を贈ったことへの礼状。清正の花押入りで「祝着」と感謝の意をあらわしている。
清正は朝鮮の役で虎を退治した逸話で知られ、強さの象徴として五月人形や絵の題材にもなっている。同博物館は「逸話の真偽は不明だが、清正は『虎之助』とも名乗っていたとされ、虎皮の贈り物に一定の意図を感じる」と話す。
後藤家は、角倉家や茶屋家とともに「京の三長者」ともいわれた豪商で、寄贈の文書には有力大名との結び付きを示す史料がある。方広寺大仏造営時に伴い大判鋳造を引き受けた際の豊臣家の依頼文、江戸前期の大名茶人小堀遠州との贈答の手紙もあり、調査研究を進めている。
伝来文書は同博物館の特別展「京・後藤家の軌跡」で9月9日まで展示している。月曜休館。有料。
2018年08月28日 03時00分配信
https://s.kyoto-np.jp/picture/2018/08/20180827204025kato2.jpg >>23
為年頭之祝儀
差上使者殊為
音信虎皮一枚
大皿十相届祝
着之至猶下川
兵大夫可申候謹言
二月廿八日清正
後藤勘兵衛とのへ <丶`Д´>「加藤清正は礼状なんてモンは出さないニダ!! それよりこれはきっとウリのところから…」 >>32
は?
ロンメルは…フランス侵攻では突出しすぎて、死にかけるし、
北アフリカでは補給なしで、がんばっても、最後は作戦読まれてボロ負け。
さらに、ヒットラー暗殺のクーデターまで起こしてるのに。
まあ、そこそこの名将ではあるのだけれど こういうケモノの敷皮って、臭いし買い取ってくれる所も無いし、貰って大変な思いした。 指揮能力高く個人的な武力も高く築城の天才でおまけに土木治水まで抜群にできる
ほぼ完璧な武将 >>111
そうなのよねぇ
50年の人生でそこまで出来ちゃった人。 真田丸で脳筋バカみたいなキャラにされてたけと、熊本の人は怒らないの?
しかも朝鮮出兵の清正役にワザワザ在日の俳優を使うとか てか、統治からいったら細川のほうが長いんでないの?
なぜ清正ばかりなんだ、熊本は?
そんなに細川が嫌いか? 加藤清正みたいな敗軍の将を崇拝するあたり
負け犬熊本人らしいわ >>114
上田も真田氏の配下であった期間は短いのに、ずっと人気者の真田の領地だったことを言っている >>114
細川氏の政策。
加藤清正公を神格化することで、
菊池氏→もっと北にしか居ないよね 阿蘇氏→外輪山の中だけだし 島津氏→侵略者なだけ
と、ウソを熊本人に刷り込んだ。 クラスメイトの加藤君
ずいぶんと出世したなあ(´・ω・`) まあ、どうせ偽書でしょ
しかし、どうでもいい時にどうでもいいものを出して騒ぎにする
なんか他に隠したいことでもあるのかなあ
あっ・・・
総裁選か、そうだそうだ
火炎瓶のヤツ、イシバから逃げまくってんだってな、討論やるのがイヤだって
ハンパないっす、みっともない総理www 七本槍のうち脇坂、加藤嘉明のように小早川の尻馬に乗って裏切った奴らの方が家は続いたという現実 >>114
そうだよね 熊本県、特に熊本市の名家で細川家家臣上がりやらすごく世話になったのもいるだろうに
まあ子孫はアレだがそれは別の話でw
あとその傾向は小田原とか広島とかでも言えそうなイメージ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています