東電の社員に命をかけて踏みとどまれ、という権限も強制力も政府にはなかった。
15日未明の官邸5階での政務の議論の本質は、細野に言わせれば「作業員に死ねと
言えるかどうか」をめぐるテーマだった。細野は、細野をはじめ、海江田、枝野、福山も
官邸政務はそれを言えなかった、と証言している。

「そこは菅さんにかなわなかった。 菅直人は、間接的にだけど、東電の作業員は死ねと、
死んでもいいと言ったんです。死んでも、一人の命より国家の重みのほうがあると言ったんだと
思いますよ。そういう表現は使わなかったけど。彼はまったくもってヒューマニストじゃないんです。
リアリスト。ミクロかマクロしかない。真ん中がないんです。だから細部には気を遣うんだけど、
真ん中がなくて国家なんですね」


菅直人の戦いは、日本という国の存在そのものをめぐる戦いだった。
そのような危機にあって死活的に重要なリーダーシップの芯は、「生存本能と生命力」だった。
そして、菅はことこの一点に関してはそれを十分すぎるほど備えていた。