周防大内氏

本姓は多々良氏。姓(カバネ)ははじめ宿禰のちに朝臣を名乗った[5]。
百済の聖王(聖明王)の第3王子の後裔と称していた。
周防国府の介を世襲した在庁官人から守護大名、そして戦国大名へと成長し、周防・長門、石見、豊前、筑前各国の守護職に補任されたほか、最盛期の大内義隆の代には山陽・山陰と北九州の6か国を実効支配した。家紋は「大内菱」。
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