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584名無しさん@1周年2017/11/24(金) 01:06:16.79ID:o2i11xEB0
文化とは、何であろうか。思想とは何を意味するものであろうか。
一言で言えば、「それが表すものが『秩序』である何ものか」であろう。
人がある一定区域に集団としておかれ、それを好むままに秩序付けよといわれれば、
そこに自然に発生する秩序は、その集団がもつ伝統的文化に基づく秩序以外にありえない。
そしてその秩序を維持すべく各人がうちにもつ自己規定は、の人たちのもつ思想以外にはない。
従って、これを逆に見れば、そういう状態で打ち立てられた秩序は、否応なしに、
その時点におけるその民族の文化と思想をさらけ出していまうのである。

各人は自らの主張に基づく行動を自らはとらなかった。
そして自らの行動の基準は、小松氏の記す「人間の本性」そのままであった。
そのくせ、それを認めて、自省しようとせず、指摘されれば、
うつろなプライドをきずつけられてただ怒る。
そして、そういう混乱は、兵士の嘲笑と相互の軽侮と反撥だけを招来し、
結局、暴力と暴力への恐怖でしか秩序づけられあい状態を招来したわけである。

だが、戦後の日本は、常にこの模索を避け、自分たちを秩序付けている文化と、
それを維持している思想、すなわち各人の自己規定を探り、
言葉によってそれを再把握して、進展する社会へ継承させようとはしなかったのである。
従って、第十六条と第十八条は、まだ達成されず、招来の課題として
そのまま残されている。