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学問のすゝめ

是に由て考れば、怨望は貧賎に由て生ずるものに非ず、唯人類天然の働を塞(ふさぎ)
て禍福の来去(らいきよ 去来)皆遇然(偶然)に係る可き地位に於て、甚しく流行(頻発)するのみ。

 昔孔子が、女子と小人(しようじん)とは近づけ難し、扨々(さてさて)困(こまり)
入たる事哉とて歎息したることあり(『論語』陽貨二五)。今を以て考るに、是れ夫子自
から事を起して、自から其弊害を述たるものと云ふ可し。人の心の性は、男子も女子も異
なるの理なし。又小人とは下人と云ふことならんか。下人の腹から出(いで)たる者は必
ず下人と定(さだまり)たるに非ず。下人も貴人も、生れ落ちたる時の性に異同あらざるは固より論を俟たず。

 然るに此女子と下人とに限りて取扱に困るとは何故ぞ。平生(へいぜい 普段)卑屈の
旨を以て周(あま)ねく人民に教へ、小弱なる婦人下人の輩(はい)を束縛して、其働に
毫も自由を得せしめざるがために、遂(つひ)に怨望の気風を醸成し、其極度に至て流石
に孔子様も歎息せられたることなり。

 元来人の性情に於て働に自由を得ざれば、其勢必ず他を怨望せざるを得ず。因果応報の明
なるは、麦を蒔て麦の生ずるが如し。聖人の名を得たる孔夫子が此理を知らず別に工夫もな
くして、徒に愚痴をこぼすとは余り頼母(たのも)しからぬ話なり。

 抑も孔子の時代は、明治を去ること二千有余年、野蛮草昧(さうまい)の世の中なれば、
教の趣意も其時代の風俗人情に従ひ、天下の人心を維持せんがためには、知(しり)て故(こと)
さらに束縛するの権道(けんだう 便法)なかる可らず。若し孔子をして真の聖人ならしめ、
万世の後を洞察するの明識(めいしき)あらしめなば、当時の権道を以て必ず心に慊(こころよ)しとしたることはなかる可し。

 故に後世の孔子を学ぶ者は、時代の考を勘定の内に入れて取捨せざる可らず。二千年前
に行はれたる教を其儘にしき写しゝて明治年間に行はんとする者は、共に事物の相場(価値)を談ず可らざる人なり。