■ 慶長宗論
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慶長宗論(けいちょうしゅうろん)とは、コ川家康が 浄土宗の増上寺・廓山と日蓮宗の妙満寺・日経との宗論を江戸城で対決させた論争をいう。


概要
折伏布教で他宗を改宗して名を轟かしていた日経は尾張国熱田に入り、浄土宗の正覚寺・沢道と宗論することになった。日経が論破したため、増上寺を経て徳川家康に上訴され、1608年12月22日(慶長13年11月15日)江戸城にて廓山と宗論することになった。

宗論が開始されたが廊山の問いに答えられなかったので、判者・頼慶は浄土宗の勝利を宣言した。

不受不施義を説いてきた日経らは袈裟を剥ぎ取られた。

その後、日経らは宗論に勝ったと主張し、1609年2月11日(慶長14年1月7日)捕らえられ、1609年3月25日(慶長14年2月20日)京都六条河原にて耳と鼻を削がれ酷刑に処された。