>>780
その考えは誤り、古の武蔵野台地に雨が降ると雨水は自由奔放に低きに流れその後に分厚い砂利と砂の層を残した
やがてこの上に富士山の噴火で8m以上の火山灰が積もり今の武蔵野台地になった
富士山の火山灰等で多摩川の流路変化もあったようで奥多摩からこの砂利層を通って澄んだ良質の水が流れ
やがて豊島区・板橋区・文京区・北区等の台地の末端から自噴した
江戸遊行名所絵図に○○の滝、△△の滝、○○の池とあるのは皆この類
昭和30(1955)年代の初期、豊島区池袋の井戸掘り現場で地下9mに下ろしてもらった経験がある
砂利層の上を澄んだ綺麗な水がザーザー音を立てて北東方向(板橋区)へ流れていた
だがこの地下水の流れも昭和40年代半ばに減少し始めやがて枯渇した
環7等主要道路沿線に高層建築が並んだ頃と軌を一にする、つまり水脈を断ち切った訳
コンクリとアスファルトが雨水の地下浸透を妨げるから地下水が枯渇すると主張する輩が入るが半可通も甚だしい
文京区の住人が言うには最後に残った崖の自噴泉が完全に枯渇したのは池袋東武デパートとメトロポリタンホテルが建設された時だそうな
東京人が普通に「東京」と言う場合念頭には山手線の内側、少し範囲を広げても精々環6(山手通り)の内側だから基盤は頑強、良質な水もたっぷり
環7辺りは雑草だらけの荒地で人跡未踏のイタチ・狸の棲み家程度にしか思わなかった、だからオリンピックに向けて突貫工事で環状7号を作れた訳

池波正太郎の鬼平犯科帳でも分かる通り巣鴨や大塚、板橋辺りは水も豊かで明治時代まで豊かな水田が残っていたんだ
だから住むべきは台地かその尾根筋に限るって寸法