【大阪】「葬式をしない寺」で真の終活、新たな挑戦 「葬式仏教」「商売先行」現状に異議 天王寺・應典院
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2018年8月の「おてら終活カフェ」では、参加者らが秋田光彦住職(左)を交え死生観についても語り合った=大阪市天王寺区で、花澤茂人撮影
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自身の最期に向け準備を整える「終活」に、「葬式をしない寺」として独自の文化活動を繰り広げてきた大阪市天王寺区の浄土宗・應典院(おうてんいん)がその拠点となるべく動き出した。専門家を招いた集いや僧侶との語り合いの場を通して、実務課題の解決だけでなく死生観を養う場を目指す。寺の新たな挑戦に迫った。【花澤茂人】
應典院は隣接する大蓮寺の塔頭(たっちゅう)寺院で、1997年に再建。檀家(だんか)を持たず、墓もなく法事もしない一方で、本堂には音響や照明設備を備え、演劇や講演会、映像上映などのイベントを年間100回以上実施。伝統仏教が「葬式仏教」と批判もされる中、葬儀だけではない寺院の存在意義を示してきた。
「終活という言葉には抵抗があった」。秋田光彦住職(62)はそう明かす。葬送関連業者が集う「エンディング産業展」が多くの人を集めるなどマーケットとして注目され、「結局は死後の消費活動。僧侶ですら消費の対象になっている」。
しかし近ごろ「日本人が死に対してこれほど自覚的で行動的だった時代はない」とその意義に気づき、同時に課題も感じた。「実務的な課題は解決できても、『死んだらどうなる』といった宗教的な疑問へのケアがなされていない。死生観の成熟なしに本当の終活とは言えない」。そこで、寺院の力が発揮できるという。「布教するわけではなく、寺院という場で僧侶を交え葬儀や墓の話をすることで、それぞれの宗教的な感覚が呼び起こされる」と期待する。新たな取り組みは「終活ブームへの便乗ではなく、カウンター(反撃)です」。
ただ「お寺だけで終活はできない」とも。7月からは、専門家を招いてお茶とお菓子を口にしながら話を聞く「おてら終活カフェ」を始めた。
8月初旬にあった第2回では、身寄りのない高齢者らに「生前契約」を通じて死後事務などのサポート活動をしているNPO法人「りすシステム」(東京都)の杉山歩・代表理事を講師に招き、約50人が参加した。冒頭にはみんなで念仏を唱え、講師の話の後に秋田住職ら僧侶がコメントする。数人ずつ車座になって語り合う時間もあり、「死後の世界はあるんでしょうか」と質問する参加者も。兵庫県伊丹市の野村富雄さん(88)は「勉強になったし、心落ち着く場でお坊さんに死に対する心構えについて聞くことができた」と満足そうに話した。
9月25、26両日には「おてら終活祭」と銘打ったイベントを開催。超宗派の僧侶や専門家が集い、宗派別葬儀デモンストレーションやトークイベント、終活相談などを予定している。秋田住職は「終活もこれまでの活動の延長線上にある。21年間で築いたネットワークを生かし、変わらずに地域のつなぎ役としての役割を果たしていく」と意気込む。
毎日新聞 2018年9月20日
https://mainichi.jp/articles/20180920/ddf/007/040/013000c?inb=ra 親が亡くなったら身寄りもない天涯孤独だし、野垂れ死にでも何でもいいわ。 葬式はリッパにだ、墓が欲しいだ、ジジイババアの需要だから。 オレは金がないから直葬にしてもらうつもりでいる
そんなプランを用意してる葬儀屋さんもあるみたいだよ。
亡くなったら連絡すると遺体の引取りから火葬まで面倒をみてくれる お墓に入りたい奴は生前予約して見積もりをとり500〜600万円は用意しときましょう。残された家族に迷惑をかけるのはやめましょう。 日本人が求めているのは、仏教の深淵な哲理ではなく
世間体良く葬式やってくれる、なんちゃって仏教
日本の仏教が葬式仏教になってしまったのは
坊主の責任ばかりでなく、そういう見てくれだけの儀式だけを求める
日本人の国民性がある
日本人は、そんなに哲学的でも宗教的でも無い
強いて言えば、カネを拝む拝金教が最強の宗教かな
そんな日本で、あえて仏教の深淵な哲理を求めるのも
一つの道ではあるが、経済的には、かなりの困難がある
それでも行きたいっていうなら、陰ながら応援するよ >>6
部屋で孤独死しても市役所の職員が手を合わせて火葬してくれるぞ 代々続いている家系なら菩提寺もあるし代々の墓もあるから
死んだ後の事など心配しないだろうけどね。 儀式にも意味があったんだが、GHQが日本社会を解体するためにいろいろ実態が失われるように指向性を組んだから地域社会を構成するシステムから外れた結果だな >>9
子供がいるからそうもいかないのが悩みのタネなんだわ
金があれば良いんだけどないからねえ 冠婚葬祭が解体されて地域社会から孤立化する人間が宗教に頼ってキリスト教に入信するとでもアメリカは思ってたんじゃなかろうか? ああ、一言いっておくけど
浄土真宗ってのは、ひでー宗教だな
親鸞の主張はともかく、浄土真宗のやってることは
現世利益、拝金追求だけの犬畜生以下のクズ宗教だな
よくあんなもの拝むよ
仏教の皮を被ったキチガイカルトだ 直葬とか火葬後の遺骨引き取り拒否とか、大阪市民の死生観は他の地域とかなり違うよな。
浜松以東では遺骨は全て骨壺に詰めて持って帰らせると聞いたことがあるけど、大阪人は遺骨とかに関心が薄そうだよな。 >>8
日本人特殊論か、海外の外国人ならそうではないデータでもあるのか?
同じような外国人は居ないのか?
キリスト教の巨大寺院も奥は、金銀燭台沢山ため込んでるところあるだろ?
まあ大抵は新大陸のインカから奪ってきた金の末だろうけど アメリカのせいでもないだろう
核家族化になったからだよ。お互いに迷惑をかけないように気を使う結果だと思う。 いやアメリカのせいである部分は確実にある
確実に神社・寺院の地域における地域社会解体をシステム化した
それで自治会の施設があちこちに出来ることになった
キリスト教の宣教師を大量に送り込んできたことから言って、日本人をキリスト教徒に改宗させる宗教改造政策は確実に有ったろ
まあ白人様らしい上から目線の啓蒙だな >>17
一度、墓買って骨を納めたあとは坊主に土下座して金積まないと
他の墓に移せないぐらいには関心あるよ >>20
死んでから100万とか使うより
生きている間に遊びで1回数千円使うほうがいいんじゃね あまりに長生きするようになったからかね
あと貧富の差?
戦時中とか大災害の時は宗教が癒しになったんだろうとは思うが
今は白けるんだろうね 地域社会が解体され檀家が機能しなくなり、寺院の維持が出来ないんだろう
景観とか歴史的な遺構とかあるが、維持費がかかるならカネのかからない寺院建築に移行するしかないが
手入れ簡単なビルとかに成っても信仰心は維持できるのだろうか?
なんだかんだ言って、寺院や教会やらの雰囲気でなんとなくみたいな人は多いだろうから、雰囲気がその辺のビジネス事務所みたいになったら廃れるかも
アメリカのテレビ伝道師とかよくわからんが、あれで受けるならそれでも生き残るかもだが 火葬場によっては遺骨は要らないといえば処分してくれるとこもあるとか ブッダは仏教哲学を説いて、衆生を救済してたんだろ。
葬式仏教で金儲けしてないだろ。
第一、お金に執着してる時点で、仏教じゃないだろ。
それも葬式でなんてな、教えに反してるんじゃないのか。 寺への付け届けとかは、代が変わってから振替が出来るようになったみたいわ
そのほうが、寺もこっちも気を使わなくていいし、いつでも好きなときに墓参りできるし
いいなと思ってる 金がある人は選択肢があるから心配することはないけど
オレみたいにないと火葬後にどうしたら良いんだろうと悩むわ
骨壷を家に置いておくのも気になるし捨てるわけにもイカないしなあ >>9
最近は市役所に委託された業者がほとんどだぞ 日本人にとって重要なのは
ゴータマ・ブッダが何とおしゃったかでは無く
葬式にいくら掛かるか、墓を買うのにいくら掛かるか
戒名もらうのにいくら掛かるか、そして香典にいくら入れるか
そんなことばっかりだから
坊主としても、ゴータマ・ブッダの教えを説くことよりも
葬式の各種サービスの説明になっちゃうんだよな
ゴータマ・ブッダは、代々続く名家なんて問題にしたことは無いよ 寺社に地域で集まらなくなり、寺院に寄進や寄付をすることが地域の名誉と成るお披露目や宣伝効果が得られる機会も無くなった
アメリカの思惑通り、これらのネタも日本のキリスト教化のために指向されたものだろうがネタとしては実態としてそういう状況に陥穽化しているのだからしてやったりだろう
最近、キリスト教施設への資本のかなりのテコ入れを地域に感じる
日本人のキリスト教徒化をいい加減諦めないよね 入場料やお賽銭で食っていける寺は何とでも言えるよな
葬式やらないと生活費に困る寺が大半、葬式坊主になるのは仕方ないのかもね やっぱり火葬場で遺骨は要らんからと引き取ってもらえたら
一番いいよね。これが可能なのかを生きてるうちに確かめておかないと
迷惑がかかるわ。 古代インドでは、死者は川に流して墓を作らなかった
ゴータマ・ブッダだけは、火葬にして骨を各地に配った
これは仏教の成立を記念し、忘れないようにするためで
一般の僧や庶民は、死ねば川に流していた
そもそも人が年を取ると、家族と別れて旅に出、林に住んだ
林住期ってやつだ。そして旅先で死んで川に流してもらうのを理想とした
だからゴータマ・ブッダも旅先で死んだ
そういう意味ではゴータマ・ブッダも流れ者として死んだわけだ 貧しい人達を助ける気はないのか
金儲けしか頭にないのか 火葬で言えば、火葬されると煉獄に行くとか言う信仰の人が増えたら、死後行政をどうするのかね
土葬ありにするのか? >>39
海に散骨してもらえばいいんじゃない
骨を砕く業者の料金が3万ってとこ >>18
>>36
まあ、そう被害妄想になる
お前、劣等感まる出しだぞ
朝鮮人によくあることだけどな 土葬はDNA残ってて抽出しやすいようにすると未来の考古学者が便利だろう 外人って真性で宗教にハマってる人が多いけど宗教にどれくらい金盗られてるんだろね欲の深そうな南米人とかでも教会には従順に金払ってるんだろか >>44
よくわかんが、君が特定の民族への差別意識を持ってる事だけは解っただけだな >>6
俺は、業者に直葬の話を聞いて下から2番目のプランで遺骨は合同の樹木葬にする予定
金かけるより家族に少しでも残して逝きたい >>47
お前、自分の劣等感を恥じろよ
まあお前の国民性じゃ、しょうがねーかも知れんが
そんじゃな >>43
そんなのを引き受けてくれる業者とかあるの?合法ならそれはいいかもな 天王寺といえば一心寺
関西中の墓持ってないor墓建てたくない人が納骨しに来るからすごい収益だろうなあ >>51
「そんじゃな」と書くことで、言い切った形で一方的な効果を相手に及ぼして相手からはカウンターは受けないという小児的な勝ち負け主義の価値観が見受けられる 元々葬式をやらない華厳宗、律宗、法相宗の僧侶はどうやって生活してるのか気になる。 金が全ての事大仏教もここまでだろ
3.11でひっくり返った ブッダとその思想は人類史最高レベルなのに
後世の仏教はウンコしか無いという悲惨さ
坊さんより外部の人間の方がブッダを理解できてるとかヤバイでしょ 葬式仏教というか、「回向」という概念が希薄になってる感覚はあるな
やたら原始仏教がもてはやされてるのもこのへんが受容されなくなった結果だと思う 欧米でも仏教は注目されてるからな。いくら、坊さんが嫌いだと言っても仏教そのものを廃れさせるのは間違い。 >>50
遺骨をどうしたらいいのかっていうのが悩みなんだけど
そういう樹木葬とかいうのあるんだー 死ぬ前に動画をはじめとするエロ素材を処分しておかねば >>57
その中でも日本仏教が一番ひどいかもしれないね
僧侶が儲けるための宗教だもん 役所が貧乏人限定で遺骨を納める場所を提供してくれないかな
樹木の下で十分なんだけど 葬式すんな墓つくんなって言って死んでいった父親の葬式あげて墓に入れてしまった
世間の目が怖かったんだ許してくれ父さん 親戚に胸の張れる葬儀、墓代となると、
首都圏近郊で500〜600万は必要。これキャッシュやでw
身寄りのない貧民は役所でやってくれるけど、
産廃とあんまり扱いが変わらないw 戒名は授ける与える物であり金儲けの物ではありません
これを仲間内で言うと村八分にされます
ほんとおかしな世界だよ 坊主に対価を払ってるのでは無くて金を捨てて世間体を買ってるんだよな
まさに大いなる修行なのである 寺とか神社にチョンが入り込んで、仏具や神具を売り飛ばした挙げ句
ご神木まで切り倒して売ってしまう時代 >>69
うちの😿ミーちゃん
頼んだらごみ清掃局の奴が来た……
ショック 遺骨などあるからおかしなことになるのだろう
骨がなければ墓も納骨も関係なからな
火葬場で捨ててくれたらいいわけだが、なんで遺骨ってあるのかねぇ 海に💀骨捨ててくれ、とか
新小岩に🍖肉捨ててくれ、とか
いろんな奴いるよなw 樹木葬は合同墓の墓石無しバージョンなだけよ
焼いた骨は石の筒に入ってて、土に還るわけではない
本当に土に骨を埋めたら樹が枯れるんよ
それでも良いならいいけどさ
ペット霊園以下よ >>80
実態も仏教だよ
儒教は江戸の時代から儒教式の葬式なんてさせてもらえないんだから 検索してみると火葬場で骨が残らないように焼くのがあるらしい
事前に申し出て置かないといけないんだとか。
何処の火葬場でも出来るわけではない。
前もって申し出ないと遺骨を引き取らないってことは出来ないらしい 一心寺は大阪の陣で家康の本陣宿舎だったのが
関西人としては嫌気材料 「あそこの家は金が無いのか、仲悪いのか、親の葬儀も出さない家だぞ」と、田舎じゃ百年言われ続ける
言われることに無頓着なら、恬と愧じずに生きて行かれる
一族からは「人様に合わせる顔が無い」と毛嫌いされるけどね
日本の、「世間体」という体面重視を気にする生き方
時代遅れと嗤うもよし、大和民族の精神支柱だと誇るもまた善し >>81
輪廻転生するのに墓があるのは何故?仏壇や位牌にしても儒教の流れだし年忌の間隔も儒教からだよね? 死別した家族と何らかの繋がりを感じたいんだよ
だから墓とか仏壇というカタチが必要なのさ だったら部屋に画像を飾ればいい
仏壇だの墓だのいらね >>84
家族葬がもっと一般化すればそんなことどーでもよくなる 自分の葬式ならそんなん要らんからその金で何か美味いものでも食ってくれって思うけど、身内の葬式となるとなあ
いざその時になったら、この歳まで育ててくれた親に最後にしてやることがこんなんでいいのか、
せめて人並み程度には、みたいに思って結局普通に葬式上げちゃう気がする 一心寺の骨の仏像はいいね
死んでからも、沢山の人が祈ってくれる >>90
大阪の一心寺だよね
お骨を納め、10年分のお骨が集まると仏像を作る
戦前に亡くなった曾祖父も入っているらしい
母がそこに納めて欲しいって言ってる
子供は娘だけだから墓守は大変だし
娘達がお参りに行けなくなっても、沢山の人が来てくれるって
賛否あるかもしれないけど、こういうのもいいなと思ったよ >>6
業者が言う遺体の引き取りは、火葬日の当日のことじゃないか?
季節の変わり目とかで年寄りがどかどか死んでる時期だと
火葬場の順番待ちのための保冷剤代とか保管料とか別料金じゃないかな
夏に自宅待機だと、エアコン最低温度でかけっぱなしで、電気代がどえらいことになるぞ >>85
墓は死んだ本人の信仰じゃなくて、遺族の信仰で用意するものだ
墓参りをするのも遺族なんだし、死んだ奴の信仰はぶっちゃけどうでもいいだろう? 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い
みたいに、大切な物まで失わなければ良いけどね
宗旨によって大小はあれど、
宗教は、生きる事、命へ対する考えや感情の現れたものなんじゃないかな
宗教を否定するあまり、自他の命や人生まで蔑ろにしてはならない
また、向き合う事が面倒なのを、宗教のせいにしてはならない >>1
チョソコ寺だけでやってろよwwwwwwwww
ちなみに、この寺の斜め向かいは山口組とも関係が深い脱税で逮捕された梅旧院な。 うちの近所
墓の分譲やってるけど全然売れない
大阪は四天王寺と一心寺に集約されていくんだろうね 本来の宗教の機能は今や哲学やら心理学・医学・自然科学に分割され細分化されてる訳で
再統合できたとしても過去のどの宗教とも似てないはず セレモニーホールが棺桶に入る体験イベント、終活セミナーとか盛り上げてるんだからお寺も頑張らないと ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています