【青森】2200年前?「炭化米」出土 弥生時代の東北地方に水稲農耕浸透、貴重な史料 弘前・清水森西遺跡
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発掘調査の説明をする上條准教授=2018年9月18日午後1時16分、青森県弘前市十面沢の清水森西遺跡、佐藤孝之撮影
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出土した長さ5ミリほどの炭化米
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弘前大人文社会科学部北日本考古学研究センターは18日、岩木山麓(ろく)に位置する弥生時代遺跡「清水森西遺跡」(弘前市)で、約2200年前の弥生時代中期初めとみられる炭化米や土器が出土したと発表した。西日本の水稲農耕文化の影響を受けた土器とともに縄文時代の影響を残した遺物も見つかっており、東北地方に水稲農耕が浸透する過程を知る上で貴重な史料と期待している。【藤田晴雄】
調査は、同センターが昨年度から同市十面沢の約75平方メートルで行い、三つの土坑を発見した。このうち、昨年発見した二つの土坑からは多数の土器とともに炭化米7粒が見つかった。土器に付着する炭化物の年代を測定した結果、約2260年前の在地系の「五所式土器」と判明。炭化米も同時期と見られ、東京大学で詳しい年代などを調べている。
一方、見つかった全ての土坑からは在地系の「五所式」のほかに、「遠賀川(おんががわ)系」と呼ばれる西日本の水稲農耕文化の影響を受けた土器も出土した。さらに、捨て場と見られる「遺物集中区」などからは、縄文時代の影響を残した土偶や石鏃(せきぞく)なども見つかった。
発掘調査に携わった同大人文社会科学部の上條信彦准教授(40)は「水稲農耕文化の展開には南からの影響だけでなく、縄文時代の伝統を持った人たちが新たな土地を開発しながら、稲作を始めていったことが分かった」と話した。
県内の弥生時代の水稲農耕文化を示す遺跡は、本州最北端で東日本最古の水田跡が見つかった同時代前期(約2300年前)の砂沢遺跡(弘前市)や、大規模な水稲経営が行われていた同時代中期(約2100年前)の垂柳遺跡(田舎館村)があるが、この間の200年間については史料が極めて少なく、その様子はよく分かっていなかった。
上條准教授は「空白期間を埋める点で、研究上、非常に重要な遺跡」と指摘。さらに史料を分析することにしている。同センターでは10月6日〜11月11日に、弘前大で清水森西遺跡などを紹介する速報企画展を開催する。
毎日新聞 2018年9月20日
https://mainichi.jp/articles/20180920/ddl/k02/040/222000c?inb=ra
朝日新聞 2018年9月20日03時00分
https://www.asahi.com/articles/ASL9M3DF9L9MUBNB005.html まぁ稲は水田は諦めて陸稲臭いな。
それにしても縄文人の積極性よ。
縄文土器の分布とその交易性からすれば、北九州か西日本(日本海側ルートだと遠賀土器が出てる東出雲か?)まで行っている。
北九州のナハタも初期は縄文が積極的だった可能性はあるよ。
でないと縄文の特徴の一つ抜歯文化が弥生人に伝わらない。 古代のロマンはいいモノだな!
眼を瞑って想像して昔を想像して 三内丸山日本の中心やった?
放射性炭素測定〜約5,100∼3,900、300人位入る建物や船着場には魂消た 三内丸山時代の陸奥湾沿岸は今の瀬戸内沿岸並みの気候だったのでは?
環太平洋の中心でもおかしくない
2500年前〜2000年前の「中国の戦国時代」で負けた国の人々の末裔が稲作人。
年代もピタリと合ってるし米のDNAも一致してる。
この稲作人と縄文人のハーフが弥生人。
長江を必死に逃げて、海に出たら沿岸沿いを北上して中国大陸北部へ逃げるつもりだったけど、
海流に流されて東シナ海の沖へ出てしまい、朝鮮半島や九州や瀬戸内地方へ一部が流された。
そういう人たちが日本で生活を始めて、縄文人と出会って混じった。
今じゃこの説が定説で、朝鮮半島経由の流入は否定されてる。 >>80
それは興味深いな。
気候変動かな?
どう考えてもカロリーの高い米を栽培する方が繁栄するはずだ。
なのになぜ狩猟生活に戻るのか?
ミシャグジ信仰と何かつながりがありそう。 日本列島と朝鮮半島の大きな違いは植生にある
飛行機からみたら緑の濃淡が明らかに違う
赤茶けた大地から濃緑になる 水稲で爆発的に人口が増えなかったのは飢饉が起こってるんだろな >>111
よっぽどお腹すいてたんだよ。最初に食べた人。 何で水稲と特定できるんだろう?
土器が農機具なの? 長江文明の人達が太陽と鳥を神聖な物として信仰してたとか
まんま天照と八咫烏だし長江から流れてきた人達が弥生人のルーツが有力だよな 日本の稲作が朝鮮半島コースで伝来したって説はまずない
遺伝子系統の明らかな相違という決定的証拠が示されてる>>99
稲作の開始時期と隆盛、衰退は気候変動を考えれば推測はそう難しくない
西日本では6000年前(B.C.4000年頃)の地層から
イネ科のプラントオパールが大量に発見されている
西日本における稲作の開始時期は少なくともそれ以前
気候最適期(B.C.5000〜3000年頃)の始め、7000〜6500年前と推測される
もちろん大規模な本格的稲作はもっと後、多分>>105の指摘する敗走中華人主導で勃興
>>109
よく分からんが、>>35の言う「その辺りの時期」が
三内丸山の少し後(B.C.3500年頃)なんじゃないか
ただ悪いがその見解は多分間違い。当時は気候寒冷化期、当時の技術で稲は収穫不能
北日本における稲作開始時期は寒冷化が底を打ちやや温暖化した>>1の遺跡の時期と推測 その後、古墳時代頃に一時的ながら縄文狩猟文化へ逆戻りするのは>>80>>83
>>86が指摘する気候寒冷化が主因と推測する。要は農耕が割に合わず狩猟採集民に戻った
>>115
見た目がちょっと違う(陸稲はインディカ米寄り)し、今ではDNAで判別可能
https://www.jircas.go.jp/ja/publication/research_results/2012_10 >>120
稲作と作物としての稲は違う
そもそも日本の土壌や風土では畑作が困難で
縄文時代からは農工具も見つかってない
もし可能性があるとしたら焼畑だけなのだが
焼畑をしたならススキなどの植生がおこるはずだが
そういう痕跡もいまのところない(みつけられているのは古墳時代から)
逆に朝鮮半島から稲作が伝わった証拠は山ほどある
環濠集落・農耕具・土器・支石墓… 縄文時代からは稲を脱穀するための道具も見つかってないしね
臼や杵みたいな >>122
相変わらずDNAの話はスルーするのなおまエラ >>126
ソメイヨシノの起源は済州だとか言ってた朝鮮人みたいなもんでしょw
最近その朝鮮人でさえ、ゲノム分析でソメイヨシノと王桜は別種と認めましたからね
ソメイヨシノの起源めぐる110年論争に終止符なんて記事にもしてw >>122
>そもそも日本の土壌や風土では畑作が困難で
おいおい、在日朝鮮人てのはどこまでデタラメなんだ
この連中は人間の精神と頭脳を持っているのか?
どうやら無知丸出しでも嘘吐き平気なのがデフォらしいw >>127
>>128
131名無しさん@1周年2018/09/21(金) 12:56:10.85ID:xTtwHzTh0
>113
半島人は古代から日本では凶毒と言われて忌み嫌われ宇佐八幡や伊勢神宮で害虫駆逐の祈願祭が行われてた >>128
池橋宏「稲の日本史」 から抜粋
>土壌学者の久馬一剛は日本の畑作土壌が農業上極めて不利であることを説明する。
>東北日本には黒ボク土。
西南日本には、黒ボク土と並んで丘陵や段丘の赤黄色の土壌で、風化した
鉱質土壌(有機物が乏しい)がある。
カルシウム・マグネシウム・カリなど塩基類の供給力が乏しく、また強い酸性で
燐酸供給も少ない。
>石灰も肥料もなかった時、黒ボク土や赤黄色土壌で作物を作ることは困難である。
>久馬は焼畑の可能性はあるが、焼いた後2〜3年は耕作可能であろうが、草がはびこるために
放棄しなければならない。そしてその土壌では立派な森林に戻らなかっただろうと述べている。
>東南アジアの雨季は地域によるが6月から10月ころまでは続く、ところが日本は梅雨の後に
規則的な降雨を期待できない。夏の畑で作物に水をかける苦労を経験した人も最近では
少なくなったからこのような当たり前のことでも指摘しておかなければならない。
池端宏
京都大学卒業後、農林省に入省、イネの品種改良に従事。国際稲研究所の専門家、
千葉大学・京都大学教授を経て、日本大学生物資源科学部教授 >>126
DNAの話って、その分析した佐藤洋一郎本人が
朝鮮半島ルートを肯定してるでしょ
ただ江南から直接来たやつもあったって言ってるだけで
どっちも正解だったとかいって 竹田のデマとかネットのでたらめとかを主張されても
こっちは歴博の研究報告とか
佐藤洋一郎・池橋宏・宮本一夫とかの著作を読んでるわけだから >>131
データがすべてだよ
その先生は朝鮮半島ルートを立証するために調査したんだろうけど見つからなかった
それだけの話 >>131
佐藤氏も否定してるじゃないか
それと農業生物資源研究所の井澤氏もqSW5の遺伝子から否定してるしな
──水稲でも、朝鮮半島経由ではない品種があったということですか?
佐藤 はい、これは稲が朝鮮半島を経由せずに直接日本に伝来したルートがあることを裏付ける証拠になります。
──確かに、有力な証拠ですね。
https://www.athome-academy.jp/archive/biology/0000000116_all.html >>132
本を読んだから俺が正しい
って東電に乗り込んだ元首相じゃないんだから >>1
> 炭化米7粒が見つかった。
すげーな。
発掘というと近所のパートのおばちゃんが掘ってるイメージだが、
そういう人らが見つけたんだろうか。 >>135とか134とかいろいろ
「遺伝学的には現在日本で栽培されている稲は朝鮮半島を経由していない」(たとえば>>99)と
「考古学的には日本列島の稲作は朝鮮半島から伝わったものだ」(たとえば>>27)とは、
べつに背反でも択一でもないと思うぞ。背反だと考える人たちは、たぶん無意識のうちに
「ただ1回のチャンスで日本列島に稲作が伝わった」というデメテル型神話のような
光景を思い描いているんだろうな。
実際には、弥生初期に朝鮮半島から稲作(とそれに伴う道具や技術)がもたらされて定着し、
その後 時代が下って大陸と直接渡航が可能になってから、今度は江南から
新しい稲の品種がもたらされたと考えるのが合理的だ。
で、こっちの品種が朝鮮半島経由でもたらされた古い品種を駆逐したと。
この先は俺の想像だが、後者はもしかしたら奈良時代あたりまで下るかも知れない。
遣唐使で伝わった茶やインゲン豆やうどんなんかと同列に「美味い米」が
あっても違和感ないよね。 >>14
発掘された遺跡は居住地周辺の土壙で、
水田ではないよ。
この時期は住居は安全な丘の上。 >>130
自分がまともに読めもしない文献を、ソースに挙げるなwwwwwwwwww
黒ボク土が東北日本全域を覆っているのか?西南日本は赤色土と黒ボク土しかないのか?
ほんと笑えるも何も、呵々大笑を通り越して大草原だわ。 徐福が五穀を携えて日本に来る以前に
東北で水稲農耕してたのか
当時の東北の気温次第では可能では
陸稲農耕なら8千年前の青森の土器から米が見付かっているよね しかし稲というか米の発明者は誰なんだ、相当高度な技術だよね。 >>142
「田植え」を発明した人は偉い気がする。
ぶっちゃけあれで収量が2倍になったんじゃなかろうか。 >>142
本来は熱帯の湿地に生える宿根草(多年草)だからな。一年草を改良した麦やとうもろこしとは、ちょっと事情が違う。 青森人だけど、2200年前に青森でコメ作ってたの?
ちょっと疑問です >>138
朝鮮ババ?
粘り気のある古代米は朝鮮半島にないわけ >>138
RM1-b遺伝子とqSW5遺伝子で否定されてるし、DNAの結果が全て
Nature Geneticsに論文載るくらいだし
ソメイヨシノと王桜の起源論争もゲノム分析で終わったしな >>149
いや、RM1-b遺伝子が直接江南から伝わったのは確かだと思うよ。
でもそれが弥生初期のできごとなのか、あるいはもっと後の時代なのか、
てなことに関心があるのだ。 >>150
http://www.eonet.ne.jp/~camus/Japanese/Japan/ine.htm >>151
うみゅ? >>151が言いたい論点は
> 近年の遺伝子考古学によって大陸からの直接伝来ルートが時間的には早かったことが有力視されつつある。
で、その中身は>>99だよね?
それに対する反論が>>138なんだってば。 >>1
暗黙の在チョン憲法
「宗主国民の中国人および日本人は、どんな科学的事実でも歴史的事実があったとしても、歴史的隷属民のチョンを対象に、客観視して意見したり批判してはいけない。あらゆる学術レベルの議論においても同様である。」 >>153
勘違いしてるみたいだけどジャポニカ米の方がインディカ米より古い品種なんだよ
それより古い品種が陸稲な
中国で生まれたインディカ米が日本に伝播してそれ以前に有った陸稲を駆逐した
後に同じく中国でインディカ米が生まれ日本以外に広まったわけ
何故日本だけがジャポニカ米を作り続けたかはボトルネック効果で説明されている
ボトルネック効果については自分で調べろ >>155
またミスった
×中国で生まれたインディカ米
〇中国で生まれたジャポニカ米 すまんね。婆さんに、「照葉樹林文化多元渡来説」を吹き込んだのは俺だ。フルボッコにされてるのはいたたまれない。
稲の渡来に関しては、1回限りではないのはほぼ確実。
必要十分の簡単な論理学問題として、朝鮮にない遺伝子を持つ品種が日本で見つかったからといって、
日本の稲作の由来一切が朝鮮と無関係である、とは論証できない。
全部違うならともかく、朝鮮と共通する遺伝子もあるのだから。
これは高校数学の初歩で習う単純な論理問題。 >>155
要は、「唐古鍵遺跡や池上曽根遺跡で熱帯ジャポニカが出た」という話と
「現代日本のイネから朝鮮半島にないRM1-b遺伝子が出た」という話とを
結び付けたいわけだよね。
で、それはうまく行ってるのだろうか。 >>157
おお、よくわからんが吹き込んだ人なのか。お久しぶりです。
それはさておき、あんまりフルボッコにされてる自覚はなかったw >>158
だからデータが全てだと言ってるだろ
誰がどう思おうとな >>159
荊楚歳時記の話をしたのが俺。吹き込んだなんておごがましいのかもしれない。非礼と感じたら申し訳ない。 地元での文化財保護がどうなってるのかは知らんが
赤米神事で使用されてたコメは半島のコメじゃなくて
長江〜東南アジア系なのはよく知られた話だが >>157
>>全部違うならともかく、朝鮮と共通する遺伝子もあるのだから。
中国に八種全部有るんだから共通してるんだったら中国とだろ そもそも南国生まれの水稲を弥生人が持ち込んだってところから疑うべきだな >>161
あ、思い出した。湖北省の民俗だっけ。
あれはためになった。全然非礼じゃない。
>>162
赤米神事と、里芋を聖餐にする地域とは微妙にかぶっている気がする。
焼畑タロイモ文化圏の末裔なんだろうか。 けっきょくいつものメンツになるな
この手のスレ
一般ねらーは興味なしか >>86
>>83の言う通り気候的な問題もある上で、仰る通りおそらく続縄文文化の南下と交流があってこそなんだろう
北東北に濃く残るアイヌ語に関しても、擦文時代には既にアイヌ語が完成して使われていて、というか本来ならば北部続縄文語とか擦文語と呼ぶべき物が現在アイヌ語と呼ばれているだけなのかも知れん
そして大和朝廷の覇権が北へ伸びると共に本州での擦文文化は廃れて行き、北海道にだけ擦文文化の延長でありオホーツク文化の影響もあるであろうアイヌという民族が発展出現した 乾田による水稲耕作は2500年位前に江南から来たんだと思うよ
歴博は2900年前にしたいみたいだけど、まあ歴博が年代を捏造するのはいつものことだし
約2500年前に、太伯が作った呉が越王勾践に滅ぼされるから、そのとき呉を脱出した人々が伝えたと思われる
魏略に倭人が呉の太伯の子孫を自称しているとあるけど、当時まだ文字を持たない倭人には中国の古典なんて読めるはずがないのに
太伯の存在を知っていたのは、実際に呉から来た人の末裔だからと考える以外にないんだよね
呉人の末裔なら漢字が使えたはずと思うかも知れないが、当時はまだ識字率が低いので、恐らく倭に来た人はさほど身分が高くない
識字率の低い層だったと考えれば整合性はある
北部九州や出雲からは弥生時代の硯が出土しているから、文字が使える者もゼロではなかったのだろうけど、
文字の書かれた遺物が現代に残るほどには多くはなかったということだろう
その程度の身分なら、太伯その人の子孫、というのは大陸特有のホラ話だろうね 何せ狭い日本列島だ。
弥生人が沖縄から青森まで
あっというまに席巻した >>157
歴史時代になっても占城稲なんてのが入ってきて結局廃れた挙げ句に雑草扱いされてるもんな >>169
>魏略に倭人が呉の太伯の子孫を自称しているとあるけど、当時まだ文字を持たない倭人には中国の古典なんて読めるはずがないのに
>太伯の存在を知っていたのは、実際に呉から来た人の末裔だからと考える以外にないんだよね
考えたことがなかったけど、言われてみれば何で知ってたんだろうな?
やっぱり呉の関係者が倭に来てて、口伝で伝わってたってことなんだろうか >>173
外交に関わる中国人通訳にでも吹き込まれたんでしょ >>174
通訳がそんな関係ない話するかぁ?
大中華の通詞様が東夷の蛮族相手に?
だいぶ無理があるだろ 2200年前にゴハン焦がしたかあちゃんがいたのね。 >>175
蛮族に雇われて知識を切り売りする中国人の話 日本列島に朝鮮半島経由で来た人たちというのは後の時代に日本と中国行き来してたルートと同じで山東半島から船で黄海超えて半島南部経由で日本海を越えてきた人たちであって、
別に満州経由で半島を徒歩で南下してきた人じゃない。
だいたいそんな経路で半島に移住する人たちじゃ島に渡る術を持ってない可能性がある(あのモンゴル帝国すらそうだったし)。
なんか韓国嫌いは勿論韓国好きの人も半島経由と聞くとそんなありえないルート想像してる人が多いよね。 >>177
現代じゃないんだからw
当時の倭国にそんな財力ないから 弥生人渡来説の嘘! ?なぜ弥生時代に生活が質素になったのか?【CGS 日本の歴史 1-10】
https://youtu.be/QwgK9s42Oxk >>141
>陸稲農耕なら8千年前の青森の土器から米が見付かっているよね
たぶんそれゴッドハンド
稲作の起源は中国の黄河流域付近で最初期のものが紀元前6000年前
日本に来るどころか中国ですら広まってない 太伯の子孫なら、1,300年後くらいの魏の人間と話が通じるわけないんだよ 慰安婦問題の基礎知識
(1)ジャップ政府はまだ公式に事実認定も謝罪もしていない。首相の私的謝罪とかで誤魔化してる。
(2)軍が、誘拐や詐欺で、多くのアジアの女性を騙し、軍の性奴隷にした。
(3)あまりにも多数の連続する性行為を強要されて、死んでしまう女性も多数いた。
(4)慰安婦を服従させるため、想像を絶する残虐行為を行った。例)赤ん坊の生首を彼女らの部屋に吊るす。
(5)慰安婦事業の隠滅のため、終戦時に殺された慰安婦も沢山いた。
https://blogs.yahoo.co.jp/rzx_al5n7vb/GALLERY/show_image.html?id=53972108&no=1
(6)天皇、軍トップの会議資料は全て敗戦直後に燃やされた。
(7)サンフランシスコ市が慰安婦の像作成を決議したら、即座に市長が死んだ。
(8)戦後から現在まで、慰安婦問題で強硬な姿勢をとらせてるのは、おそらく天皇。クソ明仁が人格者とか噴飯物。
死ね糞ジャップ
死ね 死ね
;p >>183
そういう眉唾はどうでもいい
再生回数稼ぎたいからとリンクは貼らなくてよろしい 青森地方には縄文人やアイヌが少なかったから弥生人は稲作が出来たんだろう
それ以外の東北地方では反対勢力の妨害が強すぎて稲作開始が遅れたと言う事だな >>191
本来はそうなんだよな。
決して民族を分けるための言葉じゃない。 >>176
テフロン加工してあればな
>>189
どうやったらそんな摩訶不思議な解釈になるのか頭かち割って見てみたいw >>192
逆に民族であって、時代を分けるものじゃないと思うがね。
地層での確認でほぼ合ってるらしいが。目安でしかない。 >>194
微妙なとこだな。稲作をしていた連中が全員弥生時代の人間かと言えば違うし、かといって本格的に稲作をしていた、持ち込んだ渡来系の民族と縄文時代からの土着の民族は完全に別だし
じゃあ混血化が進んだ頃はどうなんだと言えばその頃は所謂弥生時代の事でそこでは弥生人という民族としての呼称も通用するし、稲作をしていても縄文文化を引き継いでる連中は縄文人と呼んでも差し支えないし 稲作は、どこの誰でも知識があれば出来るよ
人種や遺伝子は関係ない
でも、稲作は文化でもあるから、価値観に影響を及ぼすだろうね 自分が不思議に思うのは、縄文式土器の縄文って縄の痕なんだろう。
縄って稲から作るのだから、それは稲作してたってことじゃないの? >>197
植物の繊維を編んで縄にするから、藁である必要はないんじゃないかな 縄文土器にイザナギを象った物があるらしいのな
表が女神裏から見ると蛇神
国創り神話は元々この国に在ったのかもしれない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています