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孔子は現代でいうところの貧しく職を転々とし、貧民である孔子自身が見たことも聞いたこともない王朝儀礼
を魯国の無学な青年・少年にたいして地道に広めて30頃になってようやく人気が出て弟子をもち名声が高まり仕官できた

「昔仲尼資大聖之才,懷帝王之器,當衰周之末,無受命之運」

弟子達は孔子を周公に匹敵する徳をもった聖人なのに、運がなく天帝からの天命を受けられなかったと持ち上げ孔子本人もまんざらではなかったらしい

「貧にして且つ賤しきは恥なり」と貧しく・身分低きことを恥とする孔子は、自身の生まれの僭称の可能性を指摘されている

王権が絶対だった中国において最下級の生まれだった孔子に君主・天子になる資格があったとするのは
あまりにも奇妙な話しだが、孔子本人は聖人と呼ばれるに足る資格もないのに、孔子は神格化され王権を超越した存在
として祭り上げられていく、これを素王説(精神主義においては孔子が王となるべき)という

孔子は八イツ篇において逸話を出すが、それのどれも過去に批判された点の揚げ足取りをすることで面子を保つ
その逸話がなければ、孔子の神聖さは逸すると考えたのかもしれないが、批判者が故人となった今では全く不要な逸話で、むしろ不自然さが目立つ
例えば、自らが知識豊富だからこそ任命された職務なのに一々すべてを尋ねる、それを咎められると知らぬふりをするが礼儀だという
この逸話を深く考えずに流して、さすが孔子と言うものが大半だろうが、世代を超越した人間の普遍的性質に
照らし合わせるとむしろ相手を不快にさせるだけで百害あって一理なしだ

孔子の過去の批判の言い訳は終始このように、徳があるとされる天子格の孔子自身への批判は一切許さない(書かないほうが後世の研究者には分かりやすいはずだが)

孔子が研究した古代の礼規範は、上位者・親に対する忠誠を徳とした中国の王朝にとっては使いやすかったが
日本でも徳川幕府が採用した