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高橋源一郎✕長谷部恭男「憲法対談」#1

憲法9条を国際法の歴史からとらえると全く別の地平が見えてくる? 高橋源一郎編著『憲法が変わるかもしれない社会』刊行を記念して、同書にも参加している憲法学者・長谷部恭男さんと憲法をめぐる対談が行われた。知っているようで知らない〈私たちの憲法学〉!
高橋 みなさん、今日は僕と長谷部恭男さんのトークショーにいらしていただいてありがとうございます。『憲法が変わるかもしれない社会』は、僕が勤めている明治学院大学の国際学部というところで、去年秋に行われた連続公開セミナーを本にしたものです。


憲法が本当に変わるかもしれない事態

 これまで改憲という話は何度もありましたが、まあオオカミ少年みたいなもので(笑)、本当に変わるかもしれない事態になったのは戦後75年で初めてではないかと思います。政府が改憲のスケジュールを出すなか、9条や安保法制をめぐってさまざまな議論がなされています。でも、僕たちが例えば「憲法9条改正に反対する」といった時、きちんとした根拠があって言っているのでしょうか? 実は、ムード的な感じで、「平和憲法がなくなると戦争になっちゃうから駄目でしょう」と言っていないかという疑問が自分自身にもありました。まずは憲法そのものを徹底的に知る努力をしようと思い、講座を開くことにしたのです。

 最初このセミナーを企画した時、「憲法なんて地味なテーマではたいして人が来ないんじゃない」と思っていたら、大学側が「いや、なんか来るような気がする」と言って明学で一番大きい定員520名の教室を用意しました。第1回の講師が長谷部先生だったんですけれども、僕、その日、戸塚駅に降り立って明学行きのバス停にいったら、大量の老人たちが並んでいたんですね。

長谷部 そうでした、ちょうどバス停でご一緒になりましたね(笑)。

高橋 「あれっ、今日、養老院の見学会でもあるのかな。この人たち、どこへ行くんだろう」と思ってたら、全員明学で降りたんです(笑)。あの時はビックリしましたね。520名入る教室は超満員で、外に100名以上あふれていて。聴衆の真剣な熱気は最後まで全く失せることがなく、結局、5回の講座でのべ3,300人以上の方が参加しました。

法とは「私の言う通りにしてください」というもの

高橋 専門家の人たちとひざを交えて話してみて、本当に何度も目からうろこが落ちました。講座の5回目に元『クローズアップ現代』の国谷裕子さんに来て頂いたのですが、国谷さんは長谷部さんのお弟子さんともいえる憲法学者・木村草太さんと本を出しています。その中で木村さんは「憲法を使いこなす」ことを提唱しています。憲法はわれわれの手の届かない高みにあるものでも、「守ってあげる」ものでもなく、「使うものだ」という視点はとくに驚きでした。

 今日は、日本を代表する憲法学者の長谷部さんに、昨年の講座とはまた違った視点からそもそも「憲法とは何なのか」について、お話を伺っていきたいと思います。

長谷部 いきなり難しいお題が来ましたね(笑)。先ほどの木村さんのお話にあった「憲法は使わなければいけないものである」、というのはその通りです。憲法に限らず、そもそも法というものは「道具」です。どういう意味かというと、本来人間はどう行動するかとかどう生きていくか――例えば昼ご飯に何を食べるか、職業として何を選ぶかなど、すべて自分で判断して、自分で行動に移すのが普通です。ところが、法というのは「自分で判断しないで、私の言うとおりにしてください」と言います。例えば道路交通法では、自動車を運転する時に道の左側を通ってくださいという。「自動車を運転する時に右を通るか、左を通るか自分で判断するのはやめてください、私の言うとおり、左を通って下さい」という。なぜなら、「私の言うとおりにしたほうが、あなたが本来すべきことをより効果的にすることができます」というのが背後にある理由です。みんなが左を通れば、事故を起こすこともなく、スムーズに安全に自動車を運行することができる。


 ところが、時に法律の言うとおりにすると、本来すべきことにならないぞ、ということがあります。例えば「市役所の周りではビラを撒くのをやめてください」という条例があるとします。市役所のようなたくさん人が集まるところで勝手にビラを撒かれたりすると街並みも汚れるし、みんな迷惑だというのが条例の言い分です。表向きはそうですが、しかし裏には別の理由があるかもしれません。

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