【地域】江戸時代に忽然と地図から姿を消した村。祟りを恐れ今も墓参りを続ける近隣住人たち。兵庫県篠山市★2
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180927-00010000-tanba-l28
兵庫県の内陸部にある篠山市に、江戸時代にこつぜんと地図から姿を消した村がある。近隣住民は今も村民の墓を大切に守り、
毎年、秋分の日に手厚くまつっているが、墓参りのおこりは、「祟りを恐れて」のことだった。消え去った村「夙(しゅく)」に迫る。
通婚差別も香典やり取り、ゆるやかに交流
夙村があったのは、現在の味間南(約160戸)の中。村のあった場所は、現在、植林されたスギやヒノキが林立する森になっているが、
その山中には屋敷跡とみられる台地が点在し、1カ所に集められた墓石や石仏など約30基が鎮座している。
夙村の研究をしている住職、酒井勝彦さん(74)=同市古市=によると、1687年(貞享4)の日付がある「篠山領地誌」に夙の記述が登場する。
大辞泉によると、夙とは、「江戸時代、畿内多く居住し、賤民(せんみん)視された人々」とある。
「夙村の人々は、通婚の差別は受けていたようだが、疎外されていたわけではなく、味間南とはゆるやかな交流があった」と酒井さん。
その証拠に味間南の旧家、御前昇さん(85)が保有する御前家の江戸時代の香典帳から、夙の人々と香典をやり取りしていた記述が見つかっている。
柿渋師集団の村か
嘉永4―5年(1851―52年)に書かれた「多紀郡明細記」に「柿渋師 夙村ノモノ」の記述がある。
柿渋は、未熟な青い柿の実を砕いて絞り、その汁を発酵・熟成させて作る赤褐色の液体。防腐・防水効果や、補強、医薬品、紙布の染料など、
当時は多くの利用があったとされる。
酒井さんは、「夙の人々は柿渋を製造する職人集団で、柿を求めて各地をめぐる出稼ぎの人々だったのでは」と話す。
疫病蔓延? 80戸が7年で7戸に
一時期、80戸を誇る大きな村を形成していた夙村だが、嘉永年間(1848―55年)のわずか7年の間に7戸にまで戸数を減らし、さらにその後、
全戸がなくなったという記述が1884年(明治17)に編さんされた「兵庫県多紀郡地誌」にある。
「わずか7年間という短期間で7戸にまで減ったのは疫病が流行ったからでは」と酒井さんは推測。自寺の過去帳から葬儀件数を割り出したところ、
同時期の件数が平年の4・4倍にも跳ね上がっており、近隣のほかの寺においても高い値を示している事実から、「村の9割近くがあっという間に
なくなってしまうということは、やはり流行り病が原因と考えてしまう」と話す。
大火相次ぎ、明治期から供養
その後、明治中期から後期にかけて味間南で火災が続いた。あまりに相次ぐ大火に、当時の村人たちはその原因を「消滅した夙の人たちの霊を
放置しているからだ」とうわさした。
そこで村人たちは、夙の村跡の掃除をしたり、夙の氏神であった加茂神社の御神体を味間南の岩上神社に、仏像(阿弥陀如来坐像)を
同集落の地蔵堂にそれぞれまつるなどした(1908年)。
さらに、山中に散在していた夙の人々の墓石を1カ所に集め、毎年、秋の彼岸には地元の住職を迎えて供養をするようになった。
以来、大きな火事は起こっていないという。
今年も住民約30人が村の跡が残る集落東部の井根山のふもとへと向かい、墓掃除を行った後、墓前にシキミや線香などをそなえ、森の中に読経を響かせた。
今年も無事に墓参りを終えた味間南自治会長の男性(67)は、「事の始まりはたたりを恐れてのことだったかもしれない。
しかし現在は、かつての隣人の墓があるというのに何もしないのは忍びない、という気持ちでまつっています」といい、
「もうすでに我々の世代では夙について詳しいことはわからない状況になっているが、そういう村が実在したという歴史を、
この墓を守りながら後世に伝えていかなくては」と話している。
夙村の跡。現在はスギやヒノキの植林に覆われている=2018年9月23日午前10時29分、兵庫県篠山市味間南で
https://lpt.c.yimg.jp/im_sigg5StxF_9zvH1ROOvx5YEZTA---x900-y600-q90-exp3h-pril/amd/20180927-00010000-tanba-000-view.jpg
前スレ
http://asahi.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1538027659/
1が建った時刻:2018/09/27(木) 14:54:19.11 >>1
プラスチック製品が問題になっとるのにペットボトル放置とか不届きもいいとこだな
お供えして置きっぱなしにするなら紙パックにしとけ 地図から消えたって響きはいつになっても神秘的というか
惹きつけられるな 九条道孝…藤氏長者(藤原氏の長)
ttps://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4b/Kujo_Michitaka.jpg
西園寺公望…徳大寺公純(清華家)次男
ttps://snappygoat.com/b/9a33b1a307a83b1b5e3cfa87a45144b8db0a217e
近衛文麿…近衛篤麿(五摂家筆頭格)長男
ttps://ww2db.com/images/person_konoe4.jpg
明治天皇…孝明天皇次男
ttps://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/ba/Meiji_tenno3.jpg
朝鮮ツングース顔なんていないからあきらめてもう出て来るな朝鮮禁止 こっわ、あんまり取材してたらイノチ狙われそう(・ω・`) 【いきなりカルト!(朝鮮産)】
§今日の検索ワード§
「部落 朝鮮」
https://m.youtube.com/watch?v=uG9OOYyKQ1M
たった一言「偽本尊」と検索すれば・・・
ttp://livedoor.blogimg.jp/sheltem3/imgs/1/3/139b18a9.png
新しい(犯罪的)価値の創造
ttp://livedoor.blogimg.jp/mona_news/imgs/b/1/b173a332.jpg
ttp://56285.blog.jp/archives/51449049.html?p=2
たった一言「盗作学会」で検索すれば・・・
さぁあなたも、革命人間の世界へ!!!
号外秘密便
「本日永遠の師匠の死刑が執行されました。
埋葬場所は足りています。」
創○班って警察にテロリスト認定されてんの?w
カルト激減。佐々岡典雅って誰だ? >>1 「村の9割近くがあっという間になくなってしまうということは、やはり流行り病が原因と考えてしまう」
流行り病の広がりを恐れた村人に滅ぼされたんだろ、だから今でもお供えをするのさw 篠山市って、山陰線を通すとき汽車の煙と火の粉で火事になるからって言って何キロも離れた街外れにしか駅を作らせなかったんだよな。
その後、鉄道の利便性に気づいてやっぱりおらが街にも鉄道を敷けと欲しがって出来たのが笹山線なんだがすでに昭和40年代には赤字。欲しがったクセに鉄道を利用しなくなったからw 疫病出た夙村を生きたまま閉じ込めて丸焼きにしたんです
そら祟られます。 これ現篠山市だけど旧丹南町だから、丹波篠山とは直接関係ないし離れてる。 消えた村落の優秀な技工集団が気になるね(柿渋師)
長い間、農民階級で優遇され、エタ/ヒニンを差別していた篠山の田吾作百姓は許せなかったと思う従って、ムカついて皆殺し。 祟りや怨霊の類いは無数にあるだろう
兵庫から中国地方の内陸部はまずい
明治政府による部落差別撤廃に反対する一般農民二千数百人が暴徒化
百数十人の被差別部落を包囲
説得に駆けつけた士族十数人まとめて皆殺しにし死刑十数人を出した
そのような事件があったと聞いているが資料が少ない 明治維新のバタバタ間だったしな
色々しょうがない。 兵庫県の北は、城崎温泉以外
触れてはいけなそうな何かがある そもそも伊能忠敬以前の江戸時代にはたいして精巧な地図はなかっただろ。 憑きもの筋かな?
霊的なものに負けたのかもしれん
憑護なだけに >>1
疫病っていってもそこまで致死率高くないだろ 祟りを生む下地がある中国地方
非常に差別したがりの民
親子続いて結核になったら肺病筋と言われて差別開始
さらに徴兵検査に不合格で侮蔑し避けられ怒りで村人30人を虐殺し自決
やる方やられる方双方ともおかしなモノが入っているんだろう >>39
スペイン風邪などの悪性のインフルエンザなら致死率高い 祟りを恐れてお参りするってのは何かしら罪悪感のもとになりそうなこと過去にやったから脈々と続いてるんだろうなと思う
単に出稼ぎばっかになって自然消滅した村とか病気や事故で亡くなった人とか、天寿全うした人らはいなくなったあと怨霊だの祟りだみたいに恐れられないし
何かしら夙の人々に恨まれるようなこと近隣の村がやったんだろうな >>42
例えば仮に流行り病に罹患すれば焼き殺す
そんなことしたら祟るに決まってるよな
あり得ないと断言出来るだろうか?
強烈な恨みを残して死んだ者が古来よりどれほど居るか
日本人って残酷だよな
韓国人なんかより残酷だろ? 柿渋専門の職能集団とか興味深い
元々柿を求めて移住を繰返してたなら病が流行った時点で他所に移動したのじゃないか? >>7
夙って字死に似てるから夙川って見た時も気味の悪い地名とおもった 夕の字も含んでいるが夕方は逢魔時(おうまがとき)と言った
大禍時とも言った
魔物に逢う時間、良くないことが起きる時間、人拐いが出る時間、神隠しに遭う時間
昔の人の感性 >>47
なるほど
全滅じゃなくて移住の可能性も
あるのか
けど中世ならともかく江戸末期?に
そんなに簡単によそに移住できた
のだろうか >>50
農民は人別帳で土地に縛られて居たけど
そうでない立場の人も居たってこと
夙は皮田村(穢多)の管理下だったみたいです >>47
しかしそれだと、近隣の住民が「霊を放置していた祟りだ」と言って
現在でも墓参りを続ける理由がない。 >>1
墓石の大きさ変えてるのが大人とか子供とか実際の人想像させてこえーよ 幕末の出来事を4、50年たった明治中期の災害に結び付けて祟りとか
当時の記憶のある人が言い出したなら夙村に酷い事したんだろな
夙村も近隣農村も死亡率が高いってあるし、疫病か水争いか何かわからんけど 食料なり水なりを奪って死亡者出たのが怖くて祀ってんだろ
んで次世代には自分たちの悪事は伝えない
よくある事。 >>1
この画像は閲覧注意だろ…
見ただけで呪われそう >>63
疫病にせよ移動にせよ
自然消滅した村なら祟りを受けるという思考が生まれない
祟りをなす何かがあったから祟りをなすという恐れが生じる 何かあったんだろうな
祟りが心配になるようなことがさ なんらかの強力なウィルスの爆発的感染が起こって、助けてくれ〜村が大変じゃ〜って言われたけど、流行り病ヤベーこっちくんな!!って見捨てて全滅して罪悪感わず、ってことでないのかな。
婚姻差別があったのなら血が濃いから、ある種のウィルスへの耐性が弱かったとかあるかも。 >>56
都市伝説この場合は農村伝説かの始まりは些細な事だったりするから >>45
当時韓国なんかねえよ。
つうか、今と昔をごっちゃにして同じ目線で語るなよ。 >>55
士農工商は身分制度じゃなく職分制度だから いまだに祟りとかアホすぎ。
あるなら証明してみろってんだ。 >>16
篠山口駅までの複線化や高速の丹南篠山口ICの新設で駅から東にかけてが街の中心街になりつつあるね。 >>55
大昔から朝鮮半島からの奴婢難民が多かったからな >>73
好き勝手な妄想を歴史にするトンスル脳の民族を相手にするだけ損 >>45
南朝鮮地域には現代においても刃向かった島民皆殺しの素晴らしい歴史があるからな
逃げ延びた棄民が仕方なく日本に不法入国して居座り続けてる
それを容赦してくれた日本国に多くの在日達が何故仇をなそうとするのかわからないな
俺ならそんな窮地を救ってもらったら感激して一生をかけてでも恩返ししようとするがな たたりじゃあああああ!創価のたたりじゃあああああ! こういうのは、おそらく供養している村の連中がかつて虐殺したんだよ。で、祟りを恐れた。
殺してから祟りを恐れて祀る、というのは日本古来の文化の型。日本史でもたくさんあるだろ。 創価のおばちゃんみたいに、突然ぞろぞろと追いかけてくるんじゃ…… >>92
江戸時代だからってお上にばれないと思ってんの。年貢の上がりが不自然に減ったら必ず役人が巡検に来るよ。
ちなみに寺は地域の人員のことはすべて帳簿に残すよう義務づけされていたから、変に人が減ったら必ずし寺からお上に報告がいく。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています