朝鮮人は、自分達の世界の悪の根源的な姿勢と狡さとそれらをなす恥の根源性がバレる前に、
他人を自分達に都合の良い存在に変えてしまおうとしている。
自分達の罪と立場に対しては責め立てない、都合の良い何でも許す寛容でさしさわりのない
自分達の事には済んでしまった事には仕方ないとしてすましてくれ困った時はたすけてくれ同情してくれる
便利な奴隷の様に欲望を要求せず便利なものは自分達に対しサっと我先に与えてくれたり教えてくれる善人、
何でも自分達が悪いと肩代わりしてくれる便利な奴隷的善人と、
付け入れなかった善人には、過剰に人の命は地球よりも重いとして自分達をその枠の中で扱ってくれる存在として
成り立つ様にして扱い、また自分達が悪としたい相手には都合よく悪にして憎み立ち向かってくれる善人を求めているのである。
これらはオウムや創価や統一教会のようなカルトでも見られたはずである。
一方で、それが巧くいかない一筋縄ではいかない直ぐには乗っ取れない場所には、
自分達と同じ悪として自分達の悪を責め立てさせず都合良く仲間意識をもたせて伴に自分達のタカル場所に
相手もいっしょになって担げる様にしてたかってくれる悪としてそそのかして扱ったり、
少しでも自分達に都合の悪い様に悪である者には、都合良く周りと自分達に悪になってくれるように
都合のいいタカれる悪として成り立つ存在としてなりたたせようとしているのである。
こういった屑どもは、日本に矛盾した教育と実際の現場を、自分達のちぐはぐな身勝手なその場に合わせた
狡い行動を反映させるように、学校では、特に朝鮮人の屑の為や、それが都合良くダシに出来る場所の為に、
集団的に一人の罪や悪さを背負いみなで反省する事を求め、社会では、朝鮮人詐欺師だらけの利権の上下関係だらけの
屑の社会を受け入れさせ、騙されても日本人が集団化せずそこだけ損切りのように扱われる様に、
自己責任を連呼して扱う。
つまり、学校では集団的連帯責任を過度に押付ける責任を与え、社会では自己責任を押付けるという
朝鮮人が日本で巧くやる為に、実に身勝手なマネをしているのである。
学校では朝鮮人の教育の為に、日本人に対し朝鮮人が有利に虐め癖を展開し身代わりにできるように
そして学業低下を誘う様に虐めが流行る様に仕向け、そして都合が悪くなると集団的責任のような反省を押付ける。
そして社会では自己責任を厳しく押付ける。混乱して脳がなくなった日本人は何となく流されるままにそれを受け入れる。
このような馬鹿げたシステムが施されているのである。
虐め問題も、虐める側が100%悪いと言えるのに、それを言わない屑の朝鮮気質が多い。
仮に相手に問題が発生したとしても、問題を解決するのに、虐めは必要ない筈である。
ヤクザがたかってきた暴力を振るってきた狡いマネをしてきた時に、虐めをしてネチネチクドクドやるだろうか?
もし相手に何とか巧く勝てるなら一発殴って後はつきあわないように警戒して終りである。
虐めとは朝鮮人のごとき屑が助長してきたタカりのっかり足を引っ張り巧くやる隙に
自分達を社会により有利になし、上から利益を貰う為の狡いシステムではないかと思える