奈良の南のほうって言うか十津川村のあたりは
江戸の末期まで独自の風習を持つ小さな村が点在していたけど
明治の初めの政府による神道系以外の宗教弾圧のせいで
廃村になったり酷いところでは・・・で
なんやかんやあって、でかい十津川村が出来たって聞いたけど本当かね?