>>257
「地獄沢」
命乞いをした「嘆願沢」
血の付いた刀を洗った場所を「刃拭き沢」
斬られた者の首を埋めた「首塚」
胴を埋めた「胴塚」

大坂の陣で豊臣国松まで斬首した冷酷非道で卑劣な徳川家だけある

いざ徳川幕府が滅びる段になると万を超す数の部下達を大坂に置き去りにしつつも
お妾さん連れという卑劣な逃避行をした牟田口廉也以下の徳川慶喜とお伴の松平容保

その会津の松平容保に至っては主君慶喜が日本国内の内戦を避けようと恭順したのに
自分だけ会津に引き籠って外国から武器を買って反乱を継続して犠牲者を増やし
最後には庄内藩と一緒に北海道をプロシア王国に売ろうとした史上最悪の逆臣

幕府軍総大将の松平正質による人肉食でも有名な鳥羽伏見の戦いの開戦の経緯も
この会津の松平容保を始めとした慶喜の取り巻き連中が慶喜を煽って開戦したことが
その当時に大坂城にいた者の話や後年の慶喜の口述から明らかであろう