【茨城】「戦う勇気がなかった」「戦っていたら日本が消えていた可能性があった」 徳川慶喜の大坂城脱出で論戦 水戸でシンポ★2
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「明治維新と水戸」をテーマにしたシンポジウム=水戸市三の丸
https://ibarakinews.jp/photo/15378732475181_1.jpg
■斉昭の役割も考察
「明治維新と水戸」をテーマにした明治維新150年記念シンポジウムが22日、水戸市三の丸の常陽芸文センターであり、最後の将軍徳川慶喜や水戸藩主徳川斉昭の果たした役割などを考察した。鳥羽・伏見の戦いに敗れ、大坂城から脱出して海路で江戸に向かった慶喜について、専門家が「戦う勇気がなかった」「戦っていたら日本が消えていた可能性があった」と論戦を交わした。
江戸城は1868年に無血開城されたが、戊辰戦争は翌年5月まで続いた。歴史小説家で「義烈千秋 天狗党西へ」の著者、伊東潤氏は「戦う勇気がなかった。死ぬのが怖かったのだろう。後に東北での戊辰戦争の犠牲者が出た。慶喜が混乱を引き起こした」と指摘した。
一方、水戸史学会副会長の久野勝弥氏は「大坂からの行動は敵前逃亡といわれているが、そのまま戦えば英仏の代理戦争に巻き込まれた恐れがあった」と反論。同会理事の但野正弘氏も「仏は幕府を支援し、英国は薩摩を支援していた。仏からの武器弾薬の支援申し出を慶喜は断っている。もし戦っていれば日本の国が消えていた可能性があった」と述べ、日本を救った行動だったと解説した。
慶喜の父である斉昭について、伊東さんは「江戸の教育は生ぬるいとして、子どもは水戸で教育を受けさせた。15の郷校をつくり郷士や農民の教育に力を入れた」と実力主義を掲げた英明な人物と評価した。水戸藩では天狗・諸生の戦いがあり、「水戸は優秀な人材を失い、明治維新の果実は薩摩長州が握った」と位置付けた。
シンポは水戸史学研鑽会吉田塾、水戸士魂の会、水戸観光コンベンション協会が主催した。定員300人を大きく超える入場者があった。(清水英彦)
茨城新聞 2018年9月26日
https://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=15378732475181
★1:2018/09/27(木) 03:35:07.39
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1537986907/ >>398
長州や薩摩は江戸末期に及んでも徳川に尻尾振るしかしなかった情けない藩ではなかったからな >>404
明治政府の朝鮮への傾倒?
なんだそりゃ
征韓論をさりげなく印象するなよ
お前チョン確定だな >>449
引率の藩士が真っ先に逃げて右も左も分からないまま置いてけぼりにされた可哀想な少年兵の話。 >>2
水戸の場合は、敗者というより、内部抗争で自滅って感じだな。 印象操作な↑
>>410
>>404←はまともに相手しない方がいいですよ。
戊辰戦争で負け、維新みたいな大改革にも名を残せなかった腹いせに薩長はただの狂暴なだけで知性がなかったはず!と歴史を捏造しようとしている人ですから。 >>439
すまん。夕方で時間がなくなったのでいい加減なところで投稿した。要約は下記のとおり。
プロイセンの台頭は2つの点で戊辰戦争における植民地化の危機をやわらげることになったと思われる。
1つはフランスは、プロイセンの脅威に備えるため、イギリスと対立を深めるわけにはいかなかったと
いうことである。イギリスが支援する薩長に対して、フランスが幕府をもっと強力に支えていた場合には、
戊辰戦争が泥沼化した可能性もあり、そのときは日本の権力が2つに分裂してなおかつ戦争で疲弊す
るので帝国主義的支配を受けやすくなっただろうが、そうしたシナリオは避けることができた。
2つ目は、プロイセンの迅速な戦争遂行能力に対応するため、英仏ともに本国の動員能力を高めなけ
ればならなかったということである。フランスは1866年のニエル改革により動員の強化を始めていたし、
イギリスにいたっては1868年のカードウェル改革で動員強化のために海外兵力の縮小に取り組み
はじめた。つまり英仏ともに極東に積極的に大規模な兵力を投入できる態勢にはなく、日本側の主権
が軽んじられる可能性はいくぶん少なかった。 >>450
山口県というのは日本では朝鮮の血液的影響を
もっとも多く受けたものの一つですから、
それももう古代じゃなくて、ごく近代にいたるまで
受けつづけてきたところですから。
そういうことがあって、長州的思考法というのは
ぼくなんかは朝鮮人的なタイプだと思うんです。
司馬遼太郎 >>3
なんで石田三成には、薩長のような知恵がなかったんだろうな そもそも不要な第二次長州征伐を強行したアホじゃん
こいつが和睦破棄して攻め込んで返り討ちにあわなければ幕府は潰れなかった 佐賀藩が中立を保ったのが不思議。
双方の働きかけは凄かったんだろうけど。 >>465
徳川御三家が
薩長側についているのに
なんで俺たちが幕府に忠誠つくさないといけないんだよ?
って疑問を持ちながら戦っていたから、戦意が低かったんだろうなあ >>469
優秀なのは幕末から明治にかけて
東京に出て行ってしまったから
残りものの末裔しかいないからな いくらIFを語ったところで真実なんて出てこないんだよ >>434
>薩長が列強との講話の際には列強に対してある程度は強気に出ることができたわけだ
え?
薩摩も長州も講和で要求を全部飲んだじゃん 長州人は日本の歴史と文化を憎み、
廃仏毀釈、廃城令によって全国のお寺、仏像、城郭など、
国宝級の文化財を徹底して破壊してる。
特に城郭は武士道の象徴として敵視され、
全国に200近くあったお城のほとんどが破壊された。
明治以前の状態で天守が残ってるお城は、姫路、松本などわずか12城。
姫路城は解体費が巨額のため放置され残存することができ、現在、世界遺産となってる。
慶喜にもう少し戦う勇気があれば、こうした文化財・伝統破壊を避けることができたわけで、
結果論から言っても慶喜はクズだよ。 今も長州人は日本人が大嫌いで山口県は朝鮮人だらけですよ >>429
建武の新政だから、水戸学で最大の逆臣である足利尊氏を意識するのです
王政復古は建武の新政だということに意味があるのです
以上は慶喜の心理についての私の想像で、なんの証拠も有りません 三国志があるのも阿斗ちゃんが戦わずに降伏して
陳寿が魏に再就職出来たお蔭 >>472
核兵器を持った永世中立軍事国家みたいな
いやらしさがあるわ。 >>473
薩摩は英艦隊によって砲台や工場をすべて破壊されボロ負け。
賠償金を払い下手人処刑を約束しイギリスの軍門に屈してる。
薩摩が植民地化されなかったのは、イギリスにその興味がなかったことと、
薩摩の背後に幕府の庇護があったから。薩摩人は幕府に感謝しなければならない。 >>479
イギリスの軍艦も薩摩の砲撃で被害が出て
たしか船長は戦死したとかじゃなかったかな?
それで上陸を断念して撤退した 司馬遼太郎の世に棲む日々では、高杉晋作は講和会談において魔王のような態度で欧米列強に対峙したように書いている
これは通訳官アーネスト・サトウの回顧録が出展なのだが
原文をみるとだいぶ違う
「日本の使者の態度に次第に現れてきた変化を観察すると、なかなかおもしろい。
死者は、艦上に足を踏み入れた時には悪魔のように傲然としていたのだが、
だんだん態度がやわらぎ、すべての提案を何の反対も無く承認してしまった。」
高杉は最初は魔王のような態度だったが、だんだん軟化して、最後は列強の要求をきいてしまった
サトウはこれを面白くみていたのである >>479
薩摩ってイギリスに賠償金払わないから
幕府が薩摩の肩代わりしてイギリスに賠償金払っていなかったっけ? >>468
鳥羽伏見のだんかいでは御三家も薩長にはついていないよw >>483
幕府も賠償金を払ったし薩摩も講和談判で払うことを認めた
で、幕府から金を借りて払った
ただし分割払いだったので、残りは明治政府が幕府と薩摩の債務を引き継いだ >>482
その後の高杉は「大割拠」を主張するようになる。
大割拠とはイギリスの庇護の下、長州が日本から分離独立するというトンデモな構想。
アホの高杉が自分でそんなことを思いつくわけがないので、
要はイギリス人から吹き込まれた思想なんだよね。
高杉にしろ大村にしろ基本的には英米武器商人の手先。 >>487
高杉が大割拠を主張したのは上海から帰ったときだよ
久坂らに主導された藩の方針に反対して大割拠論を唱えた
高杉は長崎に置いて、試撃行で面談した横井小楠による越前藩の長崎貿易での発展ぶりを目の当たりにした
越前は富国強兵を行っていたのであった
高杉は横井を第一の人物と激賞している
そして薩摩の五代、佐賀の中牟田と親交をむすび
彼らの藩が越前と同様の富国強兵を行っているのを知った
薩摩佐賀は大割拠を実行しようとしていたのであった
薩摩佐賀は上海行きは蒸気船の購入が目的の一つだという
薩摩はすでに蒸気船を1隻購入し運用を始めていることも知った
高杉が長崎で蒸気船を独断で購入したのにはこういう背景があった
高杉の大割拠論はこれらを受けてのもので
富国強兵をして実力を蓄え幕府に対抗するというものであった
久坂らの朝廷工作で政治の主導権を握るという藩の路線に反対したのである >>486
その後イギリスから買った軍艦を長州に輸出して
海軍を作って東京を滅ぼしましたよ
武家全滅 【茨城】「戦う勇気がなかった」「戦っていたら日本が消えていた可能性があった」 徳川慶喜の大坂城脱出で論戦 水戸でシンポ★2
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1538331107/l50
※国民の皆様に大切なお知らせです
「盗聴」行為は、基本的人権の中に「事実上」含まれています…
やっても全然問題ありません 合法かはともかく「事実上」問題ありません…
事実、徒党を組んであなたも「監視」されている可能性はあります…
「盗聴」する権利が「事実上」は存在するのではないかという解釈です…
「盗聴」も喫煙と同じように忌避されはしますが、人間の権利といえるでしょう
「盗聴」は国民の大切な「事実上」の権利です どうぞ有益に行使してください
「盗聴」はすべての人間に付与された権利なのです
あなたもそろそろこう考えるはずです… 行使しないのは損ではないのか?と
その通りです 与えられた「事実上」の権利を放棄しているのですから
善悪とは、所詮「相対的」な物差しです あなたの隣人が「盗聴」する権利を行使しているのに
あなたは「それは悪だ」という理屈は通りません 皆がやっていれば、それは平常運転のうちといえます
表向きはともかく、裏では隣人も「盗聴」する権利を行使している可能性は十分にあります…
要は、裏でこそこそやればいいのです…
喩えは下品で滅茶苦茶になりますが、たとえば「愛は地球を救う」の裏番組で「障害者の性」を扱う番組を
流せば、人間、感動を呼ぶイメージに浸れるものでしょうか?
足のない男性が「バックで突きたい」とか、「障害者の性」はAVの世界ではシリーズで存在しています…
要するに、あなたは「創られた偽装の世界」の住人なのです…
さて… 隣人は今日、あなたを見て、やけににやにやしていませんでしたか…? >>485
徳川御三家筆頭の尾張藩は、鳥羽伏見の途中
慶喜が大阪城から江戸に退却した翌日に新政府に恭順
結果、旧幕府方は1万5000人の兵力を擁しながら緒戦にして5000人の新政府軍に敗れた たた、恭順した尾張藩が官軍を東海道に通し、駿府あたりで江戸の幕府軍と挟撃する作戦もあったんだよな。
慶喜が拒否したから実現しなかったけど。 情けは人のためならずとはよう言うたもの。井伊家にも冷たくするからさ
大坂と彦根から挟めば京都の薩長軍などひとたまりもないw 戦う気がないなら初めから恭順して、その上で無傷の幕府軍擁しながら
有利な取引をすればいいだけ
つっかけといて、駄目なら味方にも嘘ついて逃げ出した
こいつはただの臆病者で卑怯者の屑の中の屑
但し、慶喜があまりにみっともなかったから、
完全な幕府は消え去ってくれた、誰も幕府を建て直そうとは思わなくなった
その意味では殊勲者 慶喜が卑怯者で臆病者で馬鹿で人間の屑だから、
幕府は完全に見放され日本は近代化できた そもそも、外交で有利なポジションを得ていた慶喜には戦争をしかける理由もないし、戦争をする気すらなかったからなあ。
江戸の幕臣が勝手に始めた戦争に、こんな馬鹿な奴らに付き合ってられるかというのが本音だろうなあ。 >>289
江戸幕府崩壊
黒船襲来後の、トクガワノミクスな、
巨大な軍拡でのギガ増税。
安政江戸巨大台風
安政江戸大震災
安政南海トラフ超巨大地震
ここら複合要因でのテラ復興費用捻出。ハイパー増税。
また、開国時の、稚拙な外交での、
関税自主権喪失での、
国富ギガ流出。ストロング インフレ。
複合要因で、スタグフレーション慢性的構造不況激化。 薩長 英国ロスチャイルドの走狗
幕府 フランスロスチャイルドに金借りる
なんだこりゃ >>488
仮に高杉が富国強兵の正しさを知ったとして、
なぜ「幕府に対抗する」になる?
開国近代化、富国強兵は幕府の規定路線なんだから、
高杉が殺した長井雅楽のように、攘夷を捨て幕府と協調し、
日本を近代化させる道を選べばいいだけじゃん。
ちなみに当時の英米は南北戦争終結で余った大量の兵器を上海に持ち込み、
それを日本で大量消費する機会をうかがってた。
現地の土人の対立に付け込むのはイギリスの植民地化政策のセオリーで、
高杉や五代はあくまでもイギリスの駒として利用されてただけだよ。
高杉や五代は、日本がどうなろうと、
関ヶ原の恨みを晴らすことの方が重要だったので、
植民地土人のようにイギリスに従うことをためらわなかったんだろうね。 >>453
明治になって、士が反くは縁起が悪いということで大阪に変えられた 倒幕・明治維新
1853年 黒船来航(ペリー=フリーメイソン)
1854年 日米和親条約締結、事実上の開国
1859年 トーマス・グラバー(フリーメイソン)来日
1860年 勝海舟を含むアメリカ使節団派遣、桜田門外の変
1863年 薩英戦争、攘夷戦争勃発
1865年 坂本龍馬がグラバー商会から武器購入
1866年 薩長同盟設立
1867年 坂本龍馬・暗殺、大政奉還
1868年 江戸開城、明治元年、江戸を東京と改める(明治維新〜文明開化)
世界大戦
日露戦争の時に日本は戦費の調達に苦労していた。
国債を発行したが売れなかった。
しかし、
反ロシア ヤコブ・シフ[クーン・ローブ(現リーマン・ブラザーズ)]が
日本に戦費を与える為日本国債を購入。
これにより
国際市場で日本国債の信用度があがり
戦費が調達でき、最後には日本がロシアに勝利するに至る。
米占領下
マッカーサー(フリーメーソン)
戦後
第52・53・54代 内閣総理大臣・鳩山一郎(自民党創始者、日本フリーメーソン創始者) 1859年に来日したスコットランド人、
トーマス・ブレーク・グラバー。
グラバーは「ジャーディン・マセソン商会」の
長崎代理店として「グラバー商会」を設立
「ジャーディン・マセソン商会」は
アヘン戦争で暗躍したロスチャイルド系商社。
グラバーは
薩摩・長州・土佐ら討幕派を支援し、武器や弾薬を販売。
江戸幕府を倒した反政府組織(明治維新政府)の
クーデターを支援した武器商人だった。
坂本龍馬(土佐藩)は1865年、
グラバー商会から7,300挺の洋式銃を薩摩藩名義で買い付け。
これらの銃が長州藩に渡り、薩長和解の契機となる。
グラバーは
明治維新後も造幣機械輸入に関わるなど明治政府との関係を深め。
三菱財閥の相談役に収まり、
更に麒麟麦酒(現・キリンホールディングス)の基礎を築く。
つまり
三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎(土佐藩)と
坂本龍馬(土佐藩)とグラバーは密接な関係にあり、
その岩崎(竜馬の後継)がグラバーの助言により、麒麟麦酒を設立した。 一戦もしないで朝廷に恭順しても、頭に血が昇った連中が暴発激発するだけだろうし
一戦して幕府旧軍の弱さを誰の目にも明らかにしてからとんづらってのは
ある意味正解だったのかもな 戦っても国が消えていた可能性は非常に低い
日本に来ていた殆の公使らは日本との有利な通商を求めて来ているのだし
目の前でイデオロギーの為に中世の様な諸侯王達の戦とか暗殺劇見せまくられたら
ドン引きで関わりたくねえと思っただろう
本国の命令があるから武器は売りたいけどね >>507
>諸侯王達の戦とか暗殺劇見せまくられたらドン引きで関わりたくねえと思っただろう
思わねーよ
積極的に関わりたいと思う
そこにつけこんで、たんまり儲けてやろうと考える 売国奴の石破は野党のスパイ。2012年の総裁選でもし石破が勝っていたら、今頃、日本の輸出産業は壊滅して、韓国の輸出産業がこの世の春だっただろう
万が一、石破が総理になれば民主党政権時の悪夢が繰り返されるだけ
↓
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180914-00000040-san-pol
自民党総裁選 野党系議員秘書「石破氏よろしく」 自民市議に電話で呼びかけ
https://blogs.yahoo.co.jp/nipponko2007/19711608.html
石破大臣の国賊行為を叱る 渡部昇一
売国左翼マスコミが全力で石破を推す理由
↓
【韓国】石破茂「韓国が納得するまで慰安婦に謝罪しなければならない」...日本の有力首相候補の所信発言
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1521175679/
(おさらい)加計の問題の本丸は石破氏。日本獣医会が石破大臣に頼み壁を作らせた(石破4条件)。
石破『現実的に新規参入は難しい文言を入れといたからな』と。しかも石破氏は献金貰ってる。
なぜか野党は総理は追及しても当時の石破大臣を追及しない。グルだからか?。なぜか献金貰った逢坂が議長席にw
https://twitter.com/camomillem/status/994529910046666752
石破の最低の人間性は自民議員からも批判されている
↓
青山繁晴「加計の件で問題なのは自民では献金をもらった石破さんの方。野党の玉木さんも。
獣医師会から献金もらって獣医師会の応援をするのは犯罪に近づく行為。それ以外にどんな解釈があるのか。
それをまるで野党側が良かったかのように石破さんが言うのは、政治の劣化と言うより人間性の劣化」
https://twitter.com/chidiremen11/status/1028973087331471360
石破は在日チョンから違法献金もらってたクズ売国奴。民主党政権時代に発覚した、石破とか前原とか菅直人とか野田とか一連の在日献金問題は同根なんだよ
石破本人が民主の前原と自分は一番近いって言ってるんだから
ネット時代に石破の詭弁は通用しない。石破は見え透いた詭弁を弄しているけど、徹頭徹尾、自分にメリットのある言動しかしていない。石破は人心というものを全く理解していない。野心だけ。
ここまで空気読めなくて人心というものを理解できない石破はサイコパスだろう。石破は泣き喚く赤ん坊みたいに自分勝手な主張ばっか!その姿勢が国民に嫌悪感を与えているという自覚ないのか?
あと、ネット時代に売国左翼マスコミに媚びようってセンスが時代錯誤
安倍政権を支持していない左翼層に消極的支持されたって、自民支持層である保守層から徹底的に嫌われたら意味ない。進次郎も同様
新潟知事選の最大の敗者は売国奴の小泉親子。小泉親子の自民党に対する反党行為はもう致命的なレベルに達している。戦後最大の政治家である安倍さんに嫉妬している売国奴の小泉親子は滑稽なんだよ
進次郎みたいな何の実績もない汚物が、後ろからぐちゃぐちゃ安倍さん撃ってるの本当に醜悪。国民の多数派を占める保守層はもう完全にFラン進次郎を見限っている
https://twitter.com/hyakutanaoki/status/973591000122769408
百田尚樹 小泉純一郎はパフォーマンスだけの男だったが、息子の進次郎も同じだな。
https://twitter.com/hyakutanaoki/status/1004270019398676480
百田尚樹 このドアホは国民民主党にでも入れてもらえ!
放送作家として長年、マスコミに関わってきた百田先生の意見だからこそ説得力がある
↓
百田尚樹 戦後、日本のマスコミと野党はゆっくりと韓国化していたが、この数年、そのスピードが急速に増してきた。彼らに論理は通じない。あるのは感情だけ。
https://twitter.com/hyakutanaoki/status/974571589487349760
小泉純一郎氏が新潟知事選野党統一候補と面会し激励
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/201805230000561.html
【自民】小泉進次郎氏、新潟県知事選で与党系候補の応援を断る…党執行部と距離
http://nstimes.com/archives/122391.html
売国左翼マスコミの世論調査は捏造が当たり前のように行われていると、左翼の鳥越が言ってる
↓
鳥越俊太郎氏 若者ら除外する世論調査結果の信憑性に疑問
http://www.news-postseven.com/archives/20120720_130805.html
鳥越:毎日新聞の記者時代の経験ですが、例えば、選挙に関する世論調査の結果を発表する前に選挙の担当者が数字を“調整”するのをしばしば見てきた。
担当者が取材で掴んだ選挙区情勢と違うという理由です。そういった裏事情を知っているので、私自身は世論調査の数字を疑っています。
.
.92976
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>491
脱走しなきゃ圧勝だったし
負けるにしても脱走じゃなく恭順してれば会津などの悲劇はなかった 真の維新の三傑は
大久保利通、高杉晋作、徳川慶喜
だから。 >>35
真偽はどうでもいいんだよ
薩長側は最後に武力で勝ったほうが正義
だって分かってた
幕府側は愚直に外交や調停で解決しようとしてた
もっともそうやってやったもん勝ちで進んでたから最後には原爆落とされちゃったんだけどね >>511
維新に英傑なんていない
長州の暴走(実質的な皇室の私物化)を誰も止められなかったんだから >>507
欧州人のメンタルがそんなに温いと思うなw
その後日本の偉い人「欧州情勢は複雑怪奇」ってなったぐらいには
暗殺や謎外交耐性が高い 徳川幕府が続いてたら戦争はおこらなかったかもな
戦争にすらならないでロシアあたりが植民地にしてたんじゃね
で、あとからアメリカが介入してきて東日本はアメリカ領、西日本はロシア領だったかも あの時期、植民地を増やそうなんて国は欧米列強にはなかった
もしその気があったら、とっくに薩摩はイギリスの植民地になっているし、蝦夷はロシアの切り取り勝手だった
むしろ欧米各国は武器を輸出した方がもうかったし。そうなると薩長には金がなかったから
最後は幕府の勝ち
慶喜には度胸もなかったし、そういう分析をしていた小栗上野介の意見を採用する人を見る目も
先を読む力もなかった
こいつが会津など東北諸藩で長州賊の虐殺や悪逆非道の行いを起こした元凶 >>513
>幕府側は愚直に外交や調停で解決しようとしてた
それ大ウソw
新政府側が愚直に交渉で解決しようと手を尽くして
岩倉ら内部の急進派の主張を折れさせたり努力して周旋したのに
幕府側こそが武力で決着を付けようとしたんだよ
それが鳥羽・伏見の戦いだから
討薩表を京都へ届けるだけが目的なら単騎で十分なのに
幕府側は万を超す軍勢を率いて京都へ進軍して戦争を起こしてるんだから
幕府側こそが兵力の多さに任せて武力で何とかしようとしたんだよ >>515
天皇の私物化といえば奥羽越列藩同盟による輪王寺宮様の仙台への拉致→新天皇化と
大政という新元号を制定したとされる問題が今の日本史ではまだまだ軽視されてるな
更なる研究が進むことが期待される
会津観光にとっては不都合な話だから地方創生のためには研究が進まない方が良いのかも知れないが >>517
新選組そのものは幕府軍の身内から鉄砲もろくに使えないし
弱くて戦さの役に立たなかったと酷評もされてるが
そんな中で土方は色々と史料を読むと幕府軍の一部からは支持されていたようだな
土方は悪いことも沢山やってたがここでは敢えて書かないw >>521
>あの時期、植民地を増やそうなんて国は欧米列強にはなかった
調べてから言えw
それに金が無かったのは幕府も一緒で幕府も色んな金策をやってる
それと虐殺といえる行為は小説やドラマのフィクションではなく
史実の方を眺めると徳川や仙台藩や会津藩こそ結構やってるよ
幕府側の悪事はなぜか小説やドラマではカットされてるがw
それと何でもかんでも慶喜さんの責任にするのは間違ってる
慶喜さんは鳥羽・伏見の戦いを起こした点や開陽丸による敵前逃亡を除けば
速やかに新政府に恭順していてそれ以上の問題点はない
奥羽越列藩同盟の元凶は慶喜さんではなく会津藩の松平容保
松平容保という元凶さえ居なければ東北での戊辰戦争は無かったから
関東や北海道での散発的な旧幕府勢力の鎮圧だけで済んだはず
言うまでもなく庄内藩にも江戸の薩摩藩邸で虐殺をやった負い目は有ったが
会津藩の松平容保さえ居なければ庄内藩も恭順へ向かっていた
新政府軍は謀叛を起こした悪逆非道な仙台藩や会津藩を鎮圧しただけだよ
さすがに天皇の使者一行を虐殺や軟禁して偽帝を担いで新元号に改元し
独立戦争にも似た反乱を起こされたら鎮圧せざるを得ない
会賊の巻き添えになって戦闘に巻き込まれた人や地域は気の毒だが
会津藩と庄内藩が北海道をプロシアに売り払う直前に
ギリギリセーフで降伏に追い込めたのは結果論ではあるが幸いだった 慶喜は将軍として江戸城に入れなかった
紀伊派も死滅した訳でもなくしかし担ぐ健康な跡取り候補もなく尾張公に接触
慶喜失脚の企みもあったろう
尾張公も男の野望が無い訳でも無いが名古屋が最前線になるのは避けたかった、大坂撤退は尾張公の野心も失わせた
計算通りなら慶喜は有能
慶喜最大の敵は尾張だったのかも知れない
尾張が決起すれば幕臣も過半数がなびく
尾張恭順で大勢は決まった >>495
薩長軍にやられたのが今でもそんなに悔しいの?
同じ国だよ >>522
長州だけが公武合体に強硬に反対してたのはなぜか? >>510
戊辰戦争は薩長+徳川御三家+徳川親藩+徳川譜代VS反乱軍+奥羽列藩同盟になってしまったからな 国学を薦めたのが幕府を滅ぼした理論的根拠になった。
もともと徳川家を二つに分けて、決して一つの勢力に集まらないようにしておく
ことで、政治情勢が幕府にとってうまく行かなくなっても、徳川の家系は存続する
そういうことを狙っていたというが、その思慮遠望の通りになったのだった。
戦乱の時代には一族が必ず二手に割れて参戦して互いに戦い合うという形をとる
ことで、戦争の結果がどっちに転んでもどちらかが残り、家系が断絶しないように
していたので、それの延長上にあった。
徳川家は明治維新後も華族として命脈を保って今日までその家系は続いて居る。 >>502
安政の大獄で幕府は支持を失ったんだよ
桜田門外の変で井伊が暗殺されたことでわかるだろ
藩の上層部は公武一和路線だったが、藩諸藩の志士たちの大勢はもう倒幕だった
そこが分かってないと幕末の倒幕の動きは理解できないだろう
>現地の土人の対立に付け込むのはイギリスの植民地化政策のセオリーで、
>高杉や五代はあくまでもイギリスの駒として利用されてただけだよ。
全く意味不明だな
ならばなぜ明治維新後、イギリスは日本を植民地にしなかったのだ? >>505
>坂本龍馬(土佐藩)は1865年、グラバー商会から7,300挺の洋式銃を薩摩藩名義で買い付け。
それには疑義がある
慶応元年(1865)閏5月1日龍馬は下関に到着し桂小五郎と面会し、中岡慎太郎が西郷を下関まで連れてくると言い、西郷との会談を承諾させた。
ところが閏5月21日に中岡慎太郎が一人来て西郷が来ないことを告げた。
激怒した桂だったが、来るべき対幕戦に必要な銃の購入ができずに困っていた長州の事情から、龍馬に薩摩名義で銃を購入させてもらうことを依頼した。
事実上長州が薩摩に頭を下げた格好だ。これが西郷の狙いなら、西郷は役者が一枚も二枚も上だ。
司馬の小説では龍馬が自らの商社である亀山社中が薩摩名義で銃を購入し長州にまわすことを提案したことになっているが、常識で考えて有りえない。
社中の設立は慶応元年(1865)5月26日に小松帯刀と近藤長次郎らが長崎に向かって以降のこと。
龍馬が桂と会っていたのと亀山社中の設立はほぼ同時期なのである。
手紙くらいは貰っていたかもしれないが、社中の現状がどうなっているのか龍馬は詳しく知らなかったのではないだろうか。
7月17日、井上聞多と伊藤俊輔が長崎に派遣され、7月21日、亀山社中の取り次ぎで薩摩藩家老小松帯刀と面談、薩摩名義の武器購入につき承諾をもらう。
井上・伊藤は高松の紹介でグラバーと会い、銃や蒸気船の購入に成功する。
井上・伊藤の後日談やその他の資料でみると井上・伊藤はグラバーから直接武器や船を購入しており、亀山社中が長州藩のために武器を購入したという記録はない。
そもそも亀山社中は結成して3か月程度なのである。
一藩と外国商社の間の重大な商談を取り仕切る能力があっただろうか。
それに桂との会談の後、龍馬は上方へ行った。
具体的に何をしていたかは記録が無いが京大阪で政治的周旋をしていたようだ。
龍馬は長崎にいないのである。
少なくともこのときのグラバーとの商談に龍馬が関わってないのは間違いない。 グラバーのパシリがグラバーから与えられた武器で権力を簒奪した結果がこれ。
さっきまで攘夷を叫んでたくせにこいつら恥ずかしくないんだろうか。
慶応4年 神戸事件。討幕派、攘夷を行った備前藩士を外国人が見物する前で切腹させる。
慶応4年 討幕派、幕府締結の条約の絶対遵守を各国に誓約する。
慶応4年 堺事件。討幕派、土佐藩士20名を外国人の前で公開処刑。うち9名はフランスの助命で命拾い。
慶応4年 パークス襲撃事件。十津川郷士2名が攘夷を試みるも失敗。討幕派の手で攘夷志士は惨殺及び梟首。
明治1年 明治政府、スウェーデン・ノルウェー・スペインと不平等条約を調印。
明治2年 明治政府、北ドイツ連邦と日本史上最悪の不平等条約を調印。
明治2年 ロシア兵、樺太函泊を占領、明治政府が抗議せず容認したため兵営陣地を構築。
明治4年 イギリス公使パークス、樺太放棄を勧告。
明治4年 明治政府の主要メンバーが国事を放棄して海外漫遊に出かける。
明治5年 岩倉漫遊使節団、条約改正を試みるもすぐさま断念。以降明治政府は半世紀近く不平等を放置。
明治8年 明治政府、樺太をロシアに二束三文で売り渡す。日本は四国+九州より広い資源の宝庫を失う。 >>535
薩長の西郷、大久保、木戸なんて人間のクズだから。
ゴミだよゴミ。 >>535
「大攘夷」とか苦しい言い訳して幕府よりも売国することで外国の歓心を買ってるので、
保守派からすれば怒り心頭だろうね。
明治初期の混乱の原因には、そういう面での裏切られた感もあっただろう。
外国製品や外国人が国内にあふれて大きな顔をして、日本人で儲けているのはもっぱら高級役人と政商じゃないかと。 戊辰戦争における戦死者は他国の例に比して少なく、犠牲者が最小限にとどまった。
戊辰戦争で8200人、西南戦争で1万2200人。刑死などを合わせても3万人前後。
人口が維新期日本の80%(2700万)のフランス大革命では内乱と処刑だけで65万人、
戦争を入れると100万。明治維新と同時期の米国の南北戦争では、両軍合わせて50万の戦死者。
欧米の場合、統一国家の形成後も地域対立が残存したり、内戦に敗れた側が政府から
排除されたりする例が多い。他方、日本の場合は内戦に伴う憎悪を継続させることなく、
維新後すぐに勝海舟は海軍卿、第一次伊藤内閣と黒田内閣には幕臣として榎本武揚も入閣。
会津藩からは柴五郎陸軍大将、林権助駐英大使も出る。 戊辰戦争さえなければ、大量の金銀が日本国内に残っていたんだよなあ。
いまや枯れてしまったが。 >>527
尾張は藩祖の時代から、
勤王だから・・
すぐに恭順したのは自然な流れ しかし、700年間武士が実権を握り
皇室が蚊帳の外だったからなァ
よくぞ戻したと思うわ 武士の台頭も時代の流れだったよ。平安時代にリアリストの武士階級が出なきゃどうしょもなかった
一君万民の明治維新も、戦後の象徴天皇もそういう事だろう 承久の乱のころに「愚管抄」を書いた慈円は、朝廷がダメになったのは大臣級の頭が悪くて意志も薄弱、
役人が増え過ぎて非常に効率が悪い、というようなことをいろいろ書いてる。
それに対する改革案を示しつつも、武士の世の中になるのは「道理」だという見解だ。 今更だが建武の新政って北畠親子を東北にやったのが失敗の始まりだったよな
建武新政が崩れず続いていたらどんな日本になっていたんだろうな エドワード ルトワック著 「日本4.0」
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1.0 内戦を完璧に封じ込めた江戸
2.0 包括的な近代化を達成した明治
3.0 弱点を強みに変えた戦後
4.0 そしていま、日本は自ら戦える国「4.0」に進化する! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています