「明治維新と水戸」をテーマにしたシンポジウム=水戸市三の丸
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■斉昭の役割も考察

「明治維新と水戸」をテーマにした明治維新150年記念シンポジウムが22日、水戸市三の丸の常陽芸文センターであり、最後の将軍徳川慶喜や水戸藩主徳川斉昭の果たした役割などを考察した。鳥羽・伏見の戦いに敗れ、大坂城から脱出して海路で江戸に向かった慶喜について、専門家が「戦う勇気がなかった」「戦っていたら日本が消えていた可能性があった」と論戦を交わした。

江戸城は1868年に無血開城されたが、戊辰戦争は翌年5月まで続いた。歴史小説家で「義烈千秋 天狗党西へ」の著者、伊東潤氏は「戦う勇気がなかった。死ぬのが怖かったのだろう。後に東北での戊辰戦争の犠牲者が出た。慶喜が混乱を引き起こした」と指摘した。

一方、水戸史学会副会長の久野勝弥氏は「大坂からの行動は敵前逃亡といわれているが、そのまま戦えば英仏の代理戦争に巻き込まれた恐れがあった」と反論。同会理事の但野正弘氏も「仏は幕府を支援し、英国は薩摩を支援していた。仏からの武器弾薬の支援申し出を慶喜は断っている。もし戦っていれば日本の国が消えていた可能性があった」と述べ、日本を救った行動だったと解説した。

慶喜の父である斉昭について、伊東さんは「江戸の教育は生ぬるいとして、子どもは水戸で教育を受けさせた。15の郷校をつくり郷士や農民の教育に力を入れた」と実力主義を掲げた英明な人物と評価した。水戸藩では天狗・諸生の戦いがあり、「水戸は優秀な人材を失い、明治維新の果実は薩摩長州が握った」と位置付けた。

シンポは水戸史学研鑽会吉田塾、水戸士魂の会、水戸観光コンベンション協会が主催した。定員300人を大きく超える入場者があった。(清水英彦)

茨城新聞 2018年9月26日
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