>>77
ナチが共産主義者を襲つたとき、自分はやや不安になった。
けれども結局自分は共産主義者でなかつたので何もしなかった。

それからナチは社会主義者を攻撃した。自分の不安はやや増大した。
けれども自分は依然として社会主義者ではなかった。そこでやはり何もしなかつた。

それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、というふうに次々と攻撃の手が加わり、そのたびに自分の不安は増したが、なおも何事も行わなかった。

さてそれからナチは教会を攻撃した。そうして自分はまさに教会の人間であつた。そこで自分は何事かをした。
しかしそのときにはすでに手遅れであった。