朴正煕(パク=チョンヒ 1917〜1979)は、大韓民国(韓国)の軍人で「1961年5月16日軍事革命」の軍部クーデターで軍事政権を樹立、1963年から大統領となり、軍をバックとした独裁政治を行った。
反共姿勢を強め、憲法を改正して責任内閣制を改めて大統領独裁体制の第三共和政をしいた。朴正煕政権はアメリカのベトナム戦争に全面的に協力し、1965年には日韓基本条約を締結して反共陣営としての日本との提携を強めた。
一方、極秘裏に北朝鮮の金日成と交渉し、1972年に南北共同宣言を発表したが、統一交渉は進展しなかった。同72年には新憲法(維新憲法)を制定、大統領緊急措置令で強大な大統領権限を手中にして「維新体制」といわれる独裁体制をかためた。
国内の反対派に対しては「中央情報部」による諜報活動を行い、73年には野党指導者の金大中を東京で拉致(金大中事件)したり、さまざまな非人道的な取り締まりを行った。
この間、産業の育成、工業化を推進し、「漢江の奇跡」と言われる経済成長を実現したが、その手法は「開発独裁」といわれるもので政権と関係の深い特定の財閥が急成長した。
1979年、朴正煕大統領は部下の中央情報局員に夫人と共に殺害され、唐突にその独裁政治は終わった。
 2013年3月、韓国初の女性大統領となった朴槿恵は、朴正煕の長女である。

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