会計検査院がここに来てここまで言えた政治的意味は分からないが、
思想的な意味も指摘しておこう。
〈IOCに影を落とすネオリベラリズム〉その1
電通からオリンピック組織委員会等に出向しているような脳筋の低知能者には少し難しい話かも知れないが、
本来なら応募する人が幾らでもいていいわけだし、
多ければ多いほど喜ばしいという事になるはずのボランティア活動なんだが、
ただし、これらの出来事が情報の非対称下で生じているのであれば、
そしてその非対称性の落差を利用する形で一方に相当程度の詐言的情報、甘言的情報が含まれているのだとすれば、
本来的には喜ばしかったはずの現象が、一気に深刻な人権侵害事象に変貌してしまう危険性を孕んでいる。
この種のリスクに対する備えというものが、募集をかける側からも、種々の忠告情報が出回っているにも関わらず応募してしまう側からも、殆んど感じられないからこそ全体として危機的なのだ。
これは、一見、ボランティアとは真逆の事象に見える融資(ファイナンス)というもので考えてみても構造的には全く同型なのであり、
金融工学と呼ばれた机上の/幻想の計算式をある種の信用情報として流布しながら紙幣をばら蒔きまくったサブプライムローン問題はもとより、
より稚拙でこれまでも世間を騒がせてきた各種の投資勧誘型融資案件等と、
今回のような幻惑的ボランティア募集とその応募の様態は、
勧誘する側から観察すれば、明らかに同型、同種の人権侵害、人権凌辱型の精神によって貫かれている。
一方、勧誘されて応募する側に立つと、確かに騙される方もどうかしている、なぜ巷に溢れる各種忠告情報、警戒情報に耳を貸そうとしないのか、
というやり切れない思いがつきまとうのは常で、「オレオレ詐欺被害」などその最たるものなのだが、
それでも、誘惑する側とされる側に分ければ、最初に働きかける側が大部分の責を負うべきなのはやはり当然だろう。
問題は、新自由主義思想(ネオリベラリズム、以下ネオリベ)という非正統性の/根無し草風の思想が地球規模で広がって以来、
それが広がる以前は、相当高い信用を有していたような公的・準公的機関でさえもが、躊躇なくネオリベに特徴的な手法に頼るようになってしまった点にある。
そしてそれはIOCでさえも全く例外ではないという点に、近年のオリンピックを巡る様々な問題が集約されていく。