なぜ朝鮮人は水車が作れなかったのか?

嫌韓の日本人が意外に知らないこと。 
未開の原始人の土人、朝鮮原始人に文明を教えたのが日本人。
水車も作れない未開の原始人に稲作を教えたのは日本人。
元々朝鮮原始人の主食は高黍(別名モロコシ)という雑穀で、粥にして食べていた。
朝鮮に米を伝えたのは日本である。
稲栽培における、灌漑技術、肥料、耕作方法などは日本の統治時代に日本から伝えられた。
日韓併合と言えば1910年。
そうです、朝鮮人が米を食いだしたのは20世紀以降のたった100年の歴史しかない。
当時植えられた稲はコシヒカリの先祖にあたる「亀の尾」という品種で、これは寒冷地でも逞しく育つ稲であった。
こうして日帝は朝鮮に食料を与えてしまい、朝鮮の貴重な文化を破壊してしまったのみならず、食が豊かになったことで朝鮮原始人の大量繁殖に間接的に手を貸してしまった。
稲作を知らない朝鮮人にとって水車など実生活に必要なかったのである。

では、なぜ朝鮮人は茶碗を持つ習慣がなかったのか?

朝鮮人は雑穀のおかゆを食っていたから。
なので箸は使わず、熱いお椀は床に置き匙で食べるのが主流になった。