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そもそも、偕行社は、「一般に定説になりつつある20万、30万という数字を破砕する」ため南京事件を取り上げることを決め、
機関紙『偕行』の1983年10月号と11月号で関連情報の提供や協力を呼びかけた経緯があることを理解しなければならない。
南京事件は虚構であり、これを二度と問題提議出来ぬよう否定証言をあつめ決定的な論稿を作りたかったからだ。
その執筆姿勢は
『しかも畝本サンは当然であるが、シロとあれかしと願う心が強かったので ―
もちろんこれが畝本サンのエネルギーの源泉であったが ―ハイ色やクロの証言は証拠不充分として、没にしていたものもあったのである。』
『一次資料にもクロが出だすと、クロ証言も取り上げざるを得なくなった。正に軌道修正である。
従来のシロ主張論は通らなくなったのである。8月号以降をもう一度読んで戴ければ解る。畝本サンはいろいろな面でお困りになったと思う。
「困った、困った」と苦渋に満ちた顔は忘れられない。』
(「偕行」編集担当常務理事 高橋登志郎 「南京戦史の総括的考察に反対された方へのお答え」P10から)
『一万三千人はもちろん、少なくとも三千人とは途方もなく大きな数である。日本軍がシロではないだろうと覚悟しつつも、
この戦史の修史作業を始めてきたわれわれだが、この膨大な数字を前にしては暗然たらざるを得ない。
戦場の実相がいかようであれ、戦場心理がどうであろうが、この大量処理には弁明の言葉がない、旧日本軍の縁につながる者として、中国人民に深く詫びるしかない。
まことに相すまぬ、むごいことであった。』
(1985年3月号の「証言による南京戦史 (最終回) その総括的考察」)
偕行という陸軍親睦団体が南京事件の否定の為に行った証言の収集は、何が何でも事件は無かったと結論づけたい、実に偏ったものでしかなく、
藪を突いて蛇を出す如く企図に反する結果を招来したのものでしかない。
平成24年8月号の「いわゆる「南京事件」について」のような否定的論稿が登場するのはむしろ当然であり、
それは恣意的な論理構成であり、チェリーピッキングにさえならない。
一次資料で南京事件があったことを証明してるのは、秦郁彦の「南京事件」がオススメである。