>>910
強制的にそこに連れてこられたって具体的に何の事だよ?

朝鮮半島において労働者募集は
自由募集→斡旋→徴用 という形で行われました。
まずは「自由募集」は問題無し、徴用も国民の義務で問題無し。
斡旋に関しては朝鮮人役人が点数稼ぎで集めたという事例もあるのでしょう。

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「日本に来たがってたの、大勢いたんだ」

 実は、いま出回っている「強制連行」証言を子細に見ると、そうした事情を裏付ける証言がいくつも
見つかる。 以下は、「斡旋」の時期に渡航してきた人たちの証言であるが、当時の「斡旋」によって
渡航した人たちの事情がよく理解できる。 (いずれも引用は『百万人の身世打鈴』から)。

 例えば、姜壽煕という人は、昭和17年に面長(日本の村長にあたる)と駐在所の所長から「日本に行け」と言われて日本にやってきたのだが、こう述べている。

「目本は天国だと思っていました。村から日本に行った人が帰ってくると、洋服を着て中折れ帽子を被って革靴を履いているんです。
親は親で、『うちの息子は日本から帰ってきて、革靴を履いている』と自慢していました。…その頃は、
朝鮮では村一番の金持ちの子どもでも革靴など履けなかったのです。…ですから、『日本に行け』と言われたとき、そんなに抵抗感もなかったのです。」

 また、李斗煥という人も同じ頃に「斡旋」を受けている。 

 「役所に呼び出されて『日本へ行ってくれ』と言われた。いやとも言えないしな。まあ正直いえば嬉しかったの。
日本に来たくてもなかなか来られないんだから。韓国にあっても、仕事ないし、百姓ぐらいだから。おれだけじゃなくして、日本に来たがってたの、大勢いたんだ」
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