イエズス会バーン師とともに靖国神社存続をマッカーサーに提言したアメリカ人バーン師は司教に叙階され、教皇使節として京都から京城に派遣されたが、昭和25年共産軍の侵入で捕虜として捕えられ死の行軍を強要されて疲労困憊の末、肺炎を起こして北朝鮮で永眠した。
韓国で(教皇使節として)高級自家用車を乗り回すより、京都で自転車のペダルを踏んでいた方が、私はずっとうれしいのに」とバーン神父はもらしていた。