>>655
東條は盛岡藩の武士の系譜ではあるけど、東京育ちであることもあり、それを心理的に強く持ってたわけではないようだ
ただ、維新後の「薩長土肥による権力の独占」に、旧奥羽列藩同盟のみならず、官軍側の諸藩の出身者も不満を持ってた
「最後の大物」の山県有朋が1921年に死ぬと、非薩長土肥の勢力は勢いづいて、徐々に勢力を盛り返し、
日米開戦時には、陸軍内の薩長土肥系の有力者は、せいぜい寺内寿一ぐらいにまで減少した