>>632
中国のLGBT?庶民は分からんが、
一定の階層以上は、性については日本より自由かもしれん。

要は、中国の場合、エリートなら何でもできる。
(改革開放以後は、お金があれば何でもできる。)
それは、性に関しても同様。一夫多妻だってできてしまうかも。


近代以前の中国では同性愛は日本同様、否定的には考えられておらず、
清王朝崩壊の時代までは同性愛は性的趣向の一つとして普通に存在していた。
しかし、中華民国時代以降の近代化により同性愛文化は廃れていき、
中華人民共和国建国による共産化で同性愛はブルジョア文化の一つとして、
同性愛は違法化されてしまった。
しかし、改革開放以降の流れで同性愛を禁止する法律は1997年に撤廃された。

ですが、伝統の力は強く、中国共産党の創始者である毛沢東自身、
若い美男を好んだといわれています。
毛沢東の主治医を20年以上にわたって務めた人物が書いた「毛沢東の私生活」によると、
毛は中国の伝統に忠実で、若い娘だけでなく若い男も好み、
自分を警護する兵士に若いイケメンを揃え、
彼らに自分の股間をマッサージさせて楽しんだそうです。



周恩来もまた、男色を好んでいた。

周恩来には当時、中学時代に知り合った李福景(リー・フジン)いう2歳年下の「恋人」がいたのだ。
「ここ数か月、朝な夕なのそよ風、雨が窓を叩きつける。そして咲き乱れる花。
すべてが郷里に残した家族のことを思い起させる。そして弟のヒュイ(李のニックネーム)のこと。
たまらなく寂しい」

周恩来は何度となく、李に日本に留学するよう勧めるが、李は香港大学に行くことを決める。

「私の心は激しい痛みにおののいている。すべての幸せが突然音を立てて崩れてしまった。
そのショックは、まるで背中から冷水を浴びせられたように、私は気絶してしまった。
その悲しみをあらわす言葉すら見つからなかった。空虚さの中をさまよった。
夜も一睡もできなかった。自分自身が惨めだった」