西武の法令無視の体質は義明氏の父であり、西武グループの創業者である堤康次郎氏の代に形成された。
その康次郎氏が自分の後継者として見込み、手元で特別に育て上げたのが義明氏なのだから、西武の企業体質が変わらないのも無理はない。
 
義明氏には康弘氏・猶二氏という二人の弟がいるが、このような育て方をされたのは義明氏だけだ。この育てられ方の違いが、長く続く堤家の兄弟間の確執の根本にあることはまちがいないだろう。

しかし、義明氏への康次郎氏の教育は過酷なものだったようだ。

二人で歩いている時に、ビルの建設現場に出くわすと、康次郎氏はふいに「あのビルは、だれが何の目的で建てているか、いってみろ」とたずね、義明氏が答えられないと殴った。
そして食事の時、義明氏が醤油を必要以上に使っただけでも「無駄なことをするな」とまた殴った。
兄弟たちと遊ぶことも、友達を作ることも義明氏には許されていなかったという。
こうして、ほかの兄弟とは切り離され、経営者としての哲学を叩き込まれた義明氏だが、「康弘も猶二もそんな目にあっていない。自分だけが殴られて、我慢してきたんだ」と恨み事めいたことを漏らすこともあったようだ。