「神道」と「仏教」
つまり、「道」と「教」
この使い分けにも、日本人的な知恵が盛り込まれている。
「仏教」は、当初、「哲学・学問」として採択された。
だからこそそれは「教」だった。
「仏教」がいわゆる宗教的な役割を果たして行くのは、空海、最澄以降の仏教においてだ。
一方、「神道」はなぜ「道」だったのか。
「道教」の世界観がかなり入っているのは否定できまい。
日本人の生活様式、四季の移ろいの感受性や無意識に、実は「道教」のあり方がかなり影響している。
知識人が押し付けてきた「儒教」よりも自然と受け入れられて「神道」の中に入り込んでいるわけ。

つまらない政治的運動とかしていないで、謙虚に自らを振り返り、最も良質な部分を訴えていく事に尽力していくべきなんだよ。

やたらと政治化された宗教者とか、本来は唾棄していくべきなんだよ。
阿Qみたいな君らには困難な事だろうけれどもww