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肉食と環境保護――非菜食主義の環境倫理学者が言えること

熊坂元大 / 環境倫理学

https://synodos.jp/society/21887

私たちのほとんどは、自分に都合が良いから、あるいは役に立つからという理由で自然に関心を持つようになったわけではないはずだ。子どもは虫や草花、雲や風が好きだが、それは純粋に自然に心惹かれているからである。
そして、野山や河川が汚染され、そこに住む動植物たちが傷つき死んでいく事態を報道などで目にすると、私たちの多くは、人間の都合と関係なく、自然それ自体の被害のために心を痛めているはずである。

動物倫理学と環境倫理学は、どちらも人間以外の存在が関わる道徳を研究するということでは、いわば隣接する研究分野と言うことができるのだが、必ずしも協調関係にあるわけではない。
実際、J. B. キャリコット(注)という環境倫理学者は、「三極対立構造」という論文で、動物倫理学(論文中では、動物解放論や動物の権利論が名指しされている)と環境倫理学は協力関係にあるのではなく、自然を人間が身勝手に使っても道徳的には問題ないと考える立場(人間中心主義)を交えての三つ巴で争っていると整理している。

なぜ、環境倫理学と動物倫理学のあいだで対立が生じるのか。
その理由は、環境倫理学が生態系、すなわち生物と無生物が織りなすネットワークの安定に重きを置くのに対し、動物倫理学は基本的に動物個体の苦痛や恐怖を無くすこと、少なくとも軽減することを目指しているからである。

環境倫理学も動物倫理学も日々の暮らしのなかで耳にする機会はないし、どうせ欧米で盛り上がっているだけで日本とは無関係の話題なのだろうと考える人は、捕鯨についての非難の応酬を思い出してほしい。
捕鯨の支持や容認の訴えは、生態系が崩れなければ鯨を捕まえても良いじゃないかという考えがその土台にあり、これは環境倫理学の問題設定と重なる。
それに対して、鯨に苦痛を与えて殺すこと自体に反対だという反捕鯨の訴えは、動物倫理学的な問題意識に基づいている。