7月初めに発生した西日本豪雨災害。約3万1千人態勢(同月17日現在)で対応する防衛省・自衛隊にあって、甚大な被害を被った広島、岡山両県などを担当エリアとする第13旅団の隊員たちは、「百万一心」と書かれたステッカーをヘルメットに貼り、猛暑の中、任務に励んでいます。

 百万一心は、戦国武将の毛利元就(もうりもとなり)が郡山城(広島県安芸高田市)の築城に際し、人柱に代えて鎮めた石碑に刻まれたものと伝えられています。その意味は「《百=一日》日を同じうし、《万=一力》力を同じうし、《一心》心を同じうして事にあたる」。つまり一致団結の教えです。

 第13旅団の隊員は今回のみならず、常にこの言葉を胸に、あらゆる現場で任務を遂行してきました。

  
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 平成26年8月20日、広島土砂災害が発生しました。そのとき、第13旅団傘下の第46普通科連隊(海田市駐屯地=広島県海田町)に所属する3等陸曹、梅本浩史(ひろふみ)(34)は、直感的に「災害派遣要請があるかもしれない」と感じたそうです。のちの広島県の発表では、死者70人以上、住宅被害4500棟超、発災前日の1時間当たりの雨量50〜60ミリと、それまで経験したことのない豪雨でした。

 20日午前6時半、広島県知事から災害派遣要請がありました。梅本3曹が所属する部隊は、広島市安佐南区に出動。現場に到着した梅本3曹には、東日本大震災の災害派遣で経験した福島県南相馬市の現場とその様相が重なったといいます。

「すべてを飲み込む自然の力に驚き、それは『山からの津波』が襲ったようでした」。東日本大震災で、ご遺体に直面したときの「助けることができなかった悔しさ」が自然とこみ上げてきたそうです。

 発災から約20日間にわたる災害派遣活動は、部隊が交代しながら24時間夜を徹して続けられました。梅本3曹の部隊は、当初の72時間、風呂にも入らず、食事と3〜4時間の仮眠を除いて、常に現場での捜索活動に従事したそうです。「『何がなんでも見つける、助けるんだ』という執念を持って、人命救助にあたりました」と梅本3曹。土砂で流された家屋の中の捜索は、素手で細心の注意を払いながら行われました。

 そんな被災現場で、土砂に囲まれた家屋に取り残された家族と遭遇したのは、活動予定場所に向かっていた20日午前のことでした。梅本3曹は「生きていてよかった」と安堵(あんど)し、すぐに女の子を抱きかかえ、2階から安全な場所へ避難させました。その時、女の子から直接「ありがとう」とかけられた言葉は鮮明に覚えています。

 梅本3曹は、西日本豪雨災害の現場でも「百万一心」の教えを胸に任務にあたりました。



産経WEST 2018.10.14 12:00
http://www.sankei.com/west/news/181014/wst1810140002-n1.html