>>365
ところが蕎麦の蘊蓄オヤジとして有名だった、元・有楽町更科の四代目当主だった故・藤村和夫は、定勝寺の「振舞ソハキリ金永」は、あくまでも蕎麦切りという文言の初出であり、この地が発祥ではないだろう、と言っている

説によると、臨済宗の僧侶によって石臼挽きによる粉引きの技術と製麺の技法が中国大陸から持ち込まれ、それが蕎麦の産地である信州で、爆発的に広まったのであろう、と。定勝寺は、信州に於ける臨済宗の寺として、その情報の受信基地の役割を果たしたのであろう、と