霧ケ峰高原に途切れなく堆積した黒ボク土(県環境保全研究所提供)
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 諏訪、茅野両市などに広がる霧ケ峰高原一帯で続いてきた、人為的に草原を焼く「火入れ(野焼き)」。これが5千年以上前の縄文時代中期には行われていたとする調査結果を県環境保全研究所(長野市)の研究員らが17日までにまとめた。現代の火入れは、家畜の餌にする草を確保しやすい「半自然草原」の状態を維持し、草原の景観を守るのが目的。縄文人がなぜ野焼きをしたかは不明だが、長きにわたって人が霧ケ峰高原に関わってきたことをうかがわせる。

 文献によると、一帯の野焼きの歴史は少なくとも江戸時代にさかのぼる。戦後は下火になったが、景観維持などの目的で、2005年から諏訪市などによる年1回実施が定例化。13年4月に野焼きが延焼して大規模火災が発生し、現在は中止されている。

 調査したのは、地質学が専門で同研究所専門研究員の富樫均さん(59)ら。13年の大規模火災後、元の植生を調べるためにビーナスライン沿いの「伊那丸富士見台駐車場」南側の2カ所にトレンチ(溝)を掘り、土壌を調べた。

 その結果、地表からそれぞれ約60センチ、約35センチの深さまで「黒ボク土(ど)」と呼ばれる土壌が堆積していることが判明した。黒ボク土は全国的に分布し、炭化した微細な植物片を多く含む。火山活動や人の野焼きでできると考えられている。

 富樫さんらは、現場の黒ボク土に含まれる炭素を分析する放射性炭素年代測定を実施。1カ所は、地表から50センチほど下が約5100年前、30センチほど下が約2830年前と判明。もう1カ所は30センチほど下で約2670年前と分かった。2カ所とも地表面まで途切れず堆積しているため、一時的な火山活動によるとは考えにくく、少なくとも5100年前から野焼きが継続的に行われていたと結論付けた。

 霧ケ峰高原周辺には、黒曜石の採掘坑跡が残る国史跡「星ケ塔遺跡」をはじめとする縄文時代の遺跡が点在している。共同で調査した同研究所主任研究員の須賀丈さん(53)=歴史生態学=は「縄文人は霧ケ峰高原も生活圏としていた」とする。

 縄文人が野焼きをした目的は何だったのか―。「草原維持の活動をしていたのではないか」と須賀さん。守矢昌文・茅野市尖石縄文考古館長は「見晴らしを良くし、移動しやすくしたのではないか」とするなど、さまざまな見方が研究者から出ている。

信濃毎日新聞 2018年10月18日
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