【長野】「江戸時代に会津に移住した先祖いる」 本家の伝承、家系図づくり過程で発見 150年の時超え子孫対面「言い伝え本当だった」
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南会津町にある「小林清五郎改め、居倉半三郎」の墓
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長野県箕輪町の小林家に「江戸時代に会津に移住した先祖がいる」との伝承があった。小林家の一族で、東京都府中市でフリー編集者をしている小林渡さん(44)=箕輪町出身=は、本家の位牌(いはい)を調べ、先祖の子孫が南会津町に健在なことを突き止めた。13日に南会津町の子孫方を訪ね、約150年の時を経て子孫が絆を確かめた。
家系図づくりを行っていた小林さんが、位牌などの記述から5代前の先祖の兄・小林清五郎が江戸後期に「奥州会津荒海村川島」に移住し、名前を「居倉半三郎」に改名したことをつかんだ。現在地は南会津町川島に当たり、今年4月に南会津町役場に相談すると、居倉家は町内に数軒あることが分かり、そのうち本家の居倉徳夫さん(84)と対面できることになった。
13日の居倉さん方での念願の対面。小林さんと父の哲夫さん(75)、小林家の本家の将生(のぶお)さん(46)の3人が訪れ、居倉家側も徳夫さん夫婦や息子夫婦、いとこ一家など10人で出迎えた。居倉家も珍しい名字のため長年にわたり先祖を探っていたが、度重なる火事で記録がなかった。徳夫さんは「先祖がつないだ縁。この交流をさらに深めていければいいな」と語った。
居倉家の墓参りを行い、「小林清五郎改め、居倉半三郎」の文字と戒名が刻まれた墓石を発見した。小林家の位牌の手掛かりと一致した。小林さんは「言い伝えは本当だった。先祖の子孫に会えて感無量」と喜んだ。ただ南会津に移住した経緯は不明のまま。小林さんは「これからも両家のつながりを大事に、新しい歴史を築きたい」とした。
感動の対面から数日後、小林清五郎に関する進展があった。箕輪町にある小林家の墓石を調べたところ、小林清五郎の戒名が刻まれた墓石があった。没年は「1853(嘉永6)年」。小林さんは「小林家にも弔った証拠があり、かつては両家に往来があった。また南会津を訪ねたい」と語った。
福島民友 2018年10月19日 13時40分
http://www.minyu-net.com/news/news/FM20181019-317406.php そのもの青き衣をまといて金色の野に降り立つべし
「言い伝え本当だった」 長野から会津なんて遠すぎるだろ(´・ω・`)
今でも遠いのに、当時は山道を歩きだろうから大変だったと思うわ。 AI「遺伝子登録制にしたらもっといろいろ判るんだけどね 俺には昭和初期にアルゼンチンに移住したのが先祖の身内にいるし
明治にアメリカに渡ったのもいるわ 俺にも高祖父(祖父の祖父)の弟の子孫の幼馴染いるけど近所だからなぁ
何百キロも離れると音信不通になって100年ちょっとでも赤の他人になっちゃうんだろうな 2018 - 150 = 1868
いやーロッパくん明治だね
没年が1853年なら150年どころか160年以上前になるはずだが何代目小林清五郎とかいたんじゃないの 保科正之が高遠から会津に移って
高遠そばが会津に伝わったけど
高遠の方ではそのそばが一旦廃れて
会津から逆輸入されたんだとか
保科正之を慕って会津に引っ越したりしたんだろうか >>3
高遠から会津に移住ってのは有名じゃね?
信州そばが会津に伝わった てかなんで移住したの?
村でトラブルでも起こしたの? >>15
不明
が、おそらくさらに遡って信州の小林家の先祖筋が会津にもいて、養子縁組でもしたんだろう >>15
保科家は、甲斐武田氏の血統として、武田信玄の信州侵略の一翼を担っていたのさ。
でも武田勝頼が織田信忠に滅ぼされて後ろ盾も無いので、徳川秀忠が浮気して作った子を養子にした。これを保科正之と言う。
保科正之は兄弟である徳川家光に信用され、松平正之と名を変えて老中首座を長期に勤めた。
領地も会津若松に拡張移転し、会津松平家の祖となった。
だから、会津松平家の家臣は信州に祖先が居るか、徳川関係なのさ。 うちの曾祖父母は江戸末期の生まれ
祖母はアメリカ生まれで兄弟はアメリカ人になった
祖父は仕事で中国に三十年住んでた
伯父はシベリアに送られた >>15
このスレの中で見る限り、
保科家の家臣として付いてったんだろう
居倉という名前は、
その時の功績などで貰った名前だろう。 >>3
昔は、街道といえば山の峰を伝ってゆくのがメインだったんだって。
南会津ってほぼ栃木、軽井沢からフルマラソン程度 会津を追い出されて 津軽とか下北半島あたりに国替えさせられ やがて北海道にも
かどうかはよく知らないけれど
なんだかな これくらいの気概をもってやって欲しい
何を 誰が 割とどうでも良いだろ。
現存する日本人なんて、何世代か
辿れば類似の親戚に辿り着くだろうよ。 飢饉で餓死者が多数発生、年貢を払えず逃散する百姓も多数発生、人口が激しく減少
江戸時代後期の東北山間部は移入者誰でも歓迎状態だったんだよ 南朝鮮は、国民全員が国粋主義という超絶な極右国家
あらゆる歴史を自己都合で捏造し、地名まで捏造を繰り返す。
南北朝鮮はまともに付き合う相手ではない。断交あるのみ。
日本に密入国してきて生活保護を受給し、性犯罪を犯しまくってる在日朝鮮人も全員を強制送還で。
日本人になりすました在日朝鮮人によるチョンポップの人気偽装もひどい。
チョンタレの日本コンサートでは、半島からも大量の朝鮮人を動員して日本人に人気があるように虚偽宣伝を繰り返している。
LINEやYahoo!Japan(ソフトバンク)などの朝鮮メディアによるステマやネット工作も相当ひどい。
戦前から日本では朝鮮人による強姦被害が多発し、大勢の日本人女性が苦しんできた。
東南アジア諸国でも朝鮮人によるレイプ事件が頻発しており、朝鮮人は東南アジアの女性に最も忌み嫌われている
ベトナムでは、強姦民族である朝鮮人のレイプ児・ライダイハンが大量発生して社会問題になっている。
朝鮮人はずっと昔から売買春が盛んで、大勢の朝鮮人売春婦が世界各地で体を売っていた。
いまも、日本人女性を汚しまくってるAV男優とAV撮影者のほとんどが在日朝鮮人だ。
朝鮮人はみんな金太郎飴のように同じ整形顔だけど、
もとはパンストを被ったようなエラ張り朝鮮顔。
生まれつきの朝鮮顔をいくらメッタメタに整形したところで、朝鮮人の存在そのものが極めて卑しく、あまりにも汚らわしい。
南朝鮮は、国際社会の汚物 ウチの先祖も長野から流れて来たらしい
信玄に討たれたらしいけどw 言い伝えて、僅か150年前の幕末の頃なら記録文書いくらでも残ってるだろ >>23
フルマラソン程度ってどういう地理感覚だよwグンマーガン無視か? >>31
今でこそ廃れた街道だけどね。。。
やっぱ東山道だろうね
婿養子じゃまいか >>26
暇つぶしにネットやるか先祖探ししてるかの違いだから よく知らんがうちの親戚は南米移民もいるらしい
昔は貧しい地域だったからな 江戸時代だと国替えとかあったしな
それどころか鎌倉時代ですら守護地頭制度だからな
例えば南部って言うと北東北のイメージだけど、元は山梨の南部だし
織田家は元は神奈川にいたりとか、長野会津なんて特に凄い距離でもない
もともとあの辺の山沿いって文化的な交流あったろ 150年前が幕末も末の時期ってわかってない奴多すぎ ネットでいろいろ調べたら、南会津町って江戸時代は幕府直轄地だったみたいね
会津藩が管理を任されてはいたみたいだけども
それと長野県の箕輪町の方は詳しくわからない部分もあるけれど、福島県にあった白河藩の飛び地が上伊那郡(箕輪町のある郡)にあった様子
この関係で長野県と福島県に往来できるアレがあった可能性
(´・ω・`) イクラの家系がはっきりしなかったら、
李KRさんに背乗りされていたかも。 >>39
ああ、しまった
毛利家だな、神奈川だったの
すまん 150年前に分かれた親戚って言ったらもう日本中親戚でも不思議じゃない NHKに頼まなくても先祖探しはできるもんなんだねぇ 親の親の親の…って辿っていくと知らない所で親戚だったりするんだろうな
先祖は過去に何をやってたんだろうとか歴史浪漫を感じるね 最後の行に湯は会津onlyと書いてあるのは気のせいだ 今は個人情報保護がうるさくて簡単には調べられなくなってるからな 遠い親戚だの先祖を辿ってこちらに来ましただの
胡散臭くて相手にしてられない
祖母が死んだ時にそんな奴らが来たけど全部追い返したわ。 >>25
地元の百姓にとっては、蒲生も保科も全部よそ者の支配者だからどうでもいい。 最近流行ってるらしいな家系図づくり
景気衰退すると流行るんだよね
アイデンティティの喪失を埋めようとするわけだ
アメリカでも1980年台に流行った
ボクのご先祖様は本当は凄いんだぞぉ
だからなんやねんとw >>56
母ちゃんが婆さんから聞いて婆さんもその母ちゃんか婆さんに聞いたらしいから正直よくわからぬ
明治のころらしいし
こないだ親孝行で母ちゃん田舎つれてって歴史博物館みたいなとこで南米移民のリストの手紙みたいの飾ってて母ちゃんがそういやーって言ってたレベルだし
うちの近親はDQNレベルの一族嫌気さして集落でたしな おまえら自身、立派な人間か?
子孫はおまえらを先祖として奉ってくれるのだろうけど。
つまり、おまえらの先祖も人間としてはカスのような生き方したのが多かったんだよ。 そんなもん調べて会ってどうすんだろ
今いる親戚すら疎遠だ >>53
めちゃめちゃ逃げてるじゃんと思ったが蒲生氏郷に仕えて領地替えでついていったのかな? >>62
はっきりした理由は分からないけど
南北朝の争乱の頃で、鎌倉までやって来てさらに北会津へ。
以来幕末まで修験道の寺と宮司をやってたよ
自分は見た事ないけど、寺だった時に使っていた過去帳に蒲生とか上杉の名前が書いてあるって聞いた。
赤松の武将を埋葬した時の様子とか話が伝わってる。その他伝わる話色々 うちの先祖は信濃村上に仕え、上杉に仕え、最後は伊達に仕えた >>58
そうだったんかー 明治時代は近くて遠いよね もう平成終わるし
2000年初頭にニッケイ新聞(サンパウロ新聞?)web版 読んだことがあってな
大体県人同士 一家単位で入植してるんだが 止むを得ず折角手に入れた農園を
手放さざるを得なかった人々も多くて(WW2 その後の混乱 コーヒー豆価格の暴落等)
新聞紙上で 当時の記憶を頼りに人探しやお墓探したりしてたんだ
んで 彼の地で亡くなった方々のお位牌を一箇所にまとめてある建物が見つかったり
改めて合祀したり そんな活動を今でも続けてる
地元のブラジル人と上手くやってたらしくて お位牌だけでなく一家の持ち物も
一緒に供養されてる建物も見つかったりするんだと
非常に無責任だし感傷的と分かっちゃいるが
読後以降 彼の地の日系人のご健勝を祈っている
全く縁もゆかりもないんだが
お母さん孝行いいな 羨ましい
自分の母は何をしても喜ばない人なもんで 色々諦めてる たかが150年程度の珍しくもない先祖が判明で云々か。
ルーツだけがアイデンティティの拠り所みたいになってる年配者居るよね。 相手も血縁を重視する家柄でよかったな。普通はキモがられる。 俺の先祖も明治初期のシャッフルで会津 尾張
南部 丹後だわw
日本中がなんか愛しいwww 江戸後期と言ってるのに保科だの言ってる馬鹿はどうにかならんのか 蒲生氏は六角配下の国人で、六角氏滅亡に伴い時の為政者に従い、いつの間にか豊臣秀吉の武将になっていた。 >>1
移住がすごい普通なんだけど@元道民
家系を調べるのは良いことだと思うよ 親だけでも10代さかのぼると1000人超すからな、親戚まで入れたら一人ぐらい会津にいるかも 会津の親戚が高額宝くじ当てた後なら相手にされなかっただろうな 母方の実家が地元では珍しい姓で江戸時代の中頃に他県から移住してきたことが過去帳や言い伝えでわかっていて、試しにぐぐってみたら同じ姓が先祖の故郷にいくつか見つかってびっくりしたな
元は母方の実家のあたりを支配していた大名が国替えで移転した先が隣県にある先祖の故郷で、その後も人の行き来はあったようだからそのつながりで引っ越したんだろうけど >>79
明治の北海道開拓は珍しくないけど江戸時代は近隣の開墾の新田とか以外は珍しい
大きいため池を作る時の立ち退きで近所に田畑を用意できなくて遠方に強制的に移住させたってのはあったりするが >>84
ご先祖様は高遠藩の領民だったようなので多分官軍、占領の流れで移住ではないかと 田舎の役所はおおらかだな
普通なら住基の目的外使用は断るとこなんだが 江戸時代かは知らんが地方だと、群馬に京都人、栃木に大分人、福井に宮崎人、千葉に徳島人、福岡に京都人なんかは聞いたことある
京都人の場合は職人の移住者で、福岡の京都郡は名残、栃木の佐野辺りだったかな、大分弁の名残がある、〜ったんとかしゃべるし ウチ珍しい苗字なんでこんな苦労いらない 同じ苗字だったら辿れば絶対繋がってるw >>11
会津プロパガンダ洗脳者がパヨクだとよく分かる文章だなw うちの先祖は岐阜あたりから長野の山奥に移り住んだらしい わざわざ親戚を増やすなんて、めんどくさいことをする人の気が知れん ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています