2008年(平成20年)8月28日 - さいたま市議会において初めて設置された懲罰特別委員会において、吉田に対する出席停止7日間の懲罰が決定。9月3日の本会議にて可決され、期間中さいたま市役所前で抗議のハンガーストライキを行う。
2009年(平成21年)
1月28日 - 再び設置された懲罰特別委員会において、陳謝の懲罰が決定。2回目の懲罰となる。2月3日の本会議にて可決され、翌日の本会議にて陳謝文の朗読を行う。
3月18日 - 三度設置された懲罰特別委員会において、出席停止7日間の懲罰が決定。3回目の懲罰となる。
3月19日 - 無所属議員に本会議での発言権が認められていないことに抗議して、懲罰の本会議での議決を前にさいたま市議会議員を辞職。懲罰は付されない形となる。その直後、自身の辞職によって行われる補欠選挙に立候補を表明。
5月24日 - さいたま市議会議員補欠選挙(北区・無所属)にて27,045票で復帰当選(3人中1位)。

2018年(平成30年)
2月20日 - 文教委員会において市立中央図書館長の答弁に対して「首つって死ね」と発言(下記参照)。
2月28日 - 四度目の懲罰特別委員会が設置され、自民党系の2市議団からは辞職勧告決議案が提出された。
3月12日 - 懲罰特別委員会において、出席停止2日間の懲罰が決定(会期末が16日に迫っていたことから)。4回目の懲罰となる。3月15日の本会議にて可決され、議決後、議長は「議員に対する市民からの信頼を著しく失墜させた」とコメントした。
3月16日 - 自民党系の2市議団から提出された辞職勧告決議案が一旦撤回されて、市議会全5会派による共同提出議案として再提出。「議員としてあるまじき暴言」・「市議会の品位を著しく汚した」として、賛成多数でさいたま市議会としては初めて辞職勧告決議を可決。