安田純平さん 機内での主なやり取り
2018年10月25日 6時22分

<略>

ー解放された瞬間というのはどんな?

荷物をすべて奪われたので、そのことがとにかく頭にきている。3年、40か月全く仕事も何もできなかったうえに、
すべての資産であるカメラであったり仕事のための道具それまで奪われたというか、そこまでするかという。
解放の瞬間はまずそれですね。

ー解放のときはどういう状態だったんですか?どなたが助けに来られたんですか?

助けではなくて、彼ら自身が車で国境まで運んできて、それでトルコ側が受け取って、
そのまま23日入っていた施設に入れられたんですけど。

ーその時の気持ちとしてはどうでしたか。ほっとしたとか?

いや、とにかく荷物がないことに腹が立って、ということと、トルコ政府側に引き渡されるとすぐに日本大使館に
引き渡されると。そうなると、あたかも日本政府が何か動いて解放されたかのように思う人がおそらくいるんじゃないかと。
それだけは避けたかったので、ああいう形の解放のされ方というのは望まない解放のされ方だったということがありまして。

ー空爆とか激しい3年間だったと思うんですけど、その間、どのように過ごされていたのか。逃げ回っていたのか。

いや、監禁されていたのはイドリブというところで、空爆されているのはおそらくヌスラぐらいで、
空爆の音は結構きましたけど、戦闘機が飛んでいる音も聞こえましたけど。

ー3年間ずっとイドリブ?

おそらくそうですね。

ーじゃあほとんど動いていない?

時々イドリブの中を転々と、動いてる状況です。

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全文はうぇbで
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181025/k10011684821000.html?utm_int=news-new_contents_list-items_003