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グアンタナモ湾収容キャンプwiki

2001年、アフガニスタン紛争による被収容者が到着。
2002年、設立。
2002年1月11日、最初の20名被収容者を搬送。
2003年、イラク戦争による被収容者が搬送。 以来、被収容者は増加、パキスタン系イギリス人
(後に釈放)、イラク系カナダ人(後に釈放)、イギリス人、オーストラリア人がテロ容疑者または
関係者として収容されたが、これらの容疑者はテロリストと見なされれば裁判にかけられる事も
なく逮捕・長期拘留されるようであり、“犯罪者”と“捕虜”の処遇を使い分けるアメリカ政府の
都合で無期限に拘留されるので問題となっていた(捕虜であればジュネーヴ条約を適用する義務
があるが犯罪者にその必要はなく、また当地はアメリカではないので合衆国憲法権利章典の効力は
及ばないなど国内法、国際法が適用されないことで有名である。しかしそもそも軍人ではない一般の
犯罪者を軍施設に拘禁する事自体が違法である)。

2004年11月、米軍は被収容者に対して心理的、時に物理的な強制を加えており、拷問に等しいと
する赤十字国際委員会の報告書がリーク[1]、2006年5月にはアムネスティ・インターナショナルからも
「世界の人権状況に関する年次報告書」によって、「対テロ戦争を口実にした収容所での人権侵害」と
告発された。キューバ政府は同基地の返還を求める。

2008年11月、アメリカ大統領に当選したバラク・オバマは、同施設の閉鎖を支持しておりアメリカ
連邦裁判所は一部の収容者の釈放を命令している(この時点の収容者は約250人)。