>>179

人材育成とは出身地や財力に関係なく個性を伸ばすための選択する権利と同義
これは日本で一般的に言われる想像力を育てるという教育理念と根本的に異なる

ドイツに見られる(10~12歳から始まる)複線型教育ならば15歳がみな同じ知識を身につけるという
ことにはならない。自ら選んだ専門を極めるための選択肢は公教育で提供されている

日本でも工業高校、高専、農業学校等があるが、ドイツでは教養型の普通高校の比率は少なく
研究者を育てる総合大学でなく職業教育をする専門大学に進学する割合のほうが多い
現に技術教育をうけた大卒の割合は日本と比べると目を疑うほど圧倒的に高い

アメリカでは偏差値に汲汲とする学生は少ないが、大学の卒業が難しいのでアメリカは中学ぐらいの
段階で大学3〜4年レベルの技術を前もって学ぶ子供もいる。だから大学に入ってから、即独自研究のような事をすることも可能だ

個性とは自信を与えることを意味し、これは一定の自由とリソースがあれば誰でも得られる
例えば成績がいまいちの子供でも、職人的な教育を早期に受けていれば、その分野では
優秀なグループに対して負けない強みとなり、うまくいけば生涯その状況は変わらない

誰もが研究者や官僚になるわけでもないし、その適正が必要なわけではない
日本は専門でなく教養を身につかせる文系が多く、米国に見られる文系学生の副専攻を使った職業教育もない
大学を卒業する段階で専門教育は真っ白な状態で来るのが一般的な日本の大学生

全ての子供が同じステージで相対比較される中央集権型の学歴競争は儒教的科挙制度に近く
そこから生まれる金太郎飴から奇跡が生まれることを期待するのでは、情報産業での敗戦につぐ
自動化・AIによる産業競争力の衰退に拍車をかけるだけだ